今を変えたいとあせるのは:他人と比べない~縛られた考えを手放す

現状は自分が作り出したもの

「なくて七癖」ということわざがあるとおり、人は自分では気がつかないけど、何らかのクセを持っているものです。

私事ですが、無意識に左に力が入るクセがあるようで、それが原因で左足に痛みが出てしまったことがありました。

急に痛くなったわけですが、事故にあったわけではなく、外から力を加えられたわけでもないのにです。

毎日少しずつ蓄積されていった身体への偏った力が、ある日痛みとなって外側に現れたということのようでした。

身体の使い方のクセが原因で、身体に痛みが出ました。

これは、身体の使い方のクセでしたが、人には精神的なクセというものがあるのではないでしょうか。

考え方のクセやものごとの捉え方のクセが、人それぞれあるように思えます。

心のクセが原因で現状が上手く行かないことがあるのではないでしょうか。

人間は、思考が行動につながります。

行動した結果が現状です。

そうすると、自分の内側にあるものが外側に現状となって現れるともいえます。

上手くいっていないとしたら、いつも同じような問題が発生してしまうとしたら、それは内側、つまり心の在り方にクセがあるのかもしれません。

周りに一喜一憂すると

心と身体はつながっています。

心と身体は連携しているので不安や悲しみ、心配、恐怖の感情が身体を蝕むことがあります。

感情を抑えてしまったことでストレスが身体に現れることがあります。

例えば、怒りは首、肩、腕、胃の痛みになったり、悲しみは涙目になったり胸が苦しくなったりします。

嫌悪感が強いと吐き気がしたり、不安が強いと呼吸が浅くなります。

恐怖は心臓がどきどきしたり、震えが出て肩や首が緊張したり、と身体に変化が出てきます。

過去を悔やむとか、取り越し苦労をするとか、そういうネガティブな思考をするとネガティブな感情が起こります。

否定的な感情はストレスとなって身体に現れます。

脳はストレスを受けてそれに耐えられなくなると身体に痛みとして出すといわれています。

ストレスが強くなると心だけではなく、身体にも痛みをもたらすという状態になってしまいます。

自分の周りに起こることに一喜一憂しないことです。

ストレスは自分が作り出したものともいえます。

「こうでなければならない。」「何で思い通りにならないんだ!」と自分の思いに執着するのをやめることです。

外側に現れる状況は自分の心の表れだとわかったら、今の現実を作り出しているのは自分だと自覚できるでしょう。

他人軸の考え方になっていないか?

人はそれぞれの価値観や信念を持っています。

その価値観や信念は、その人の過去の体験の積み重ねであったりするものです。

その人特有の記憶から来るものです。

なので、人によってものごとの考え方や感じ方や捉え方に違いがあります。

さまざまな人は、考え方にさまざまなクセがあるともいえます。

同じような問題にぶつかってうまくいかないことが多いとしたら、考え方のクセを見直してみてはどうでしょうか。

見直す考え方のクセというのは、「〇〇すべき思考」です。

見直すヒントとして次の①~⑧のことを考えてみてください。

① 自分の行動を見つめ直す。

自問してみてください。

なぜ、自分はこんなにたくさんの「すべきこと」があるのか?

「しなければならない」ことが自分にとって本当によいことなのか?

ただ、習慣としてそうしてきたのではないか?

② 自分に課しているルールで無意味だと思われるものを上げてみてください。

何となく惰性でやっていることはないでしょうか?

止められないからやっているということがありませんか?

③ やめたいというルールや考え方を疑ってみる。

ネガティブな感情を持つ行為をやっているとしたら、それは自分にとって必要のないものだといえます。

例えば、だらだらとネットサーフィンをやっているとしたら、なぜそういうことをするのか?

何を満たそうとしているのか考えてみます。

安らぎを得たいとか、他人とつながっていたいとか…何かを求めているのではないですか?

④ 自分なりの新しい習慣を始める。

先ほど②と③で上げた無意味と思うルールややめたいことを別なルールや行為に置き換えるというものです。

例えば心配し過ぎて待ち合わせの30分前に現地に着いていたんだけど、5~10分前にするとか。

ネットサーフィンをやめたいのであれば、ネットサーフィンをすることに「なごみたい」という欲求があったとしたら、それを満たす別な行為をするのです。

例えば、ペットのネコをなでるとか。

⑤ 日記をつける。

日記をつけることは自分を客観的に見つめるのに適しています。

感じたことや行動した結果を書いていきます

自分の心と行動が一致しているのかどうかわかりますし、書いているうちに何かに気づくことがあります。

⑥ 他人に対してルールを課していないか調べる。

自分の中にルールがあればそれを他人にも課しています。

自分の価値観に合わないことに遭遇したら、怒りや苛立ちが起こります。

他人の言動に怒りを持つということは、他人の行動が問題なのではなく、それに対する自分の反応が問題であるということです。

「~であるべき」「~しなければいけない」という自分の思考に反する他人の言動に怒りを感じるわけです。

他人の行動にいらだつのは、自分の中にある考え方や自分のルールが原因です。

自分のルールを緩めてみたらいかがでしょう。

⑦ 自分が担っている「役割」を捨てる。

男だから、女だからという考えに縛られているとしたら息苦しいかもしれません。

良い主婦、良い母という役割を演じているとしたら…。

「私は演じているなんて考えたことない。」とおっしゃるかもしれませんが。

「こうあらねばならない」という価値観が強いとしたら、「〇〇でなければならない」を手放したほうがいいかもしれません。

⑧ 他人が変わってくれるのを待たない。

他人は変えられません。でも、自分は変わることができます。

他人が変わってくれたら状況は良くなるのにと思っていても、そういう状況は永久に来ないでしょう。

それよりも自分が変わったほうが早いのです。

「~でなければならない」という考え方は、誰かの定めた基準を満たさなければならない考え方です。

「誰か」とは世間なのか、親なのか、いづれにせよ自分以外の人が決めたルールに従っています。

先ほどストレスの例を出したように、他人が決めた基準、すなわち他人軸で生きると苦しくなります。

他人と比べない在り方

人と比べる思考のクセを持っているのであれば、相手が自分より劣っていると思えたら優越感を持ちます。

反対に自分が劣っていると感じたら、劣等感を持ちます。

勝っているとか劣っているとか判断する基準は何でしょうか。

常識と言うものでしょうか。世間体?社会的な評価というものでしょうか?

比較するものは、年収や経歴、容姿や家柄等、比べようと思ったらいくらでも出てきます。

比較競争に入っていくことは、生きるうえで自分に必要なことなのかどうか考えてみることもできます。

重要なことだと判断すれば競争していけばいいと思います。

いや、必要ないと思ったら、その競争から離脱すればいいのではないでしょうか。

前提としてその比較する基準は絶対的なものなのでしょうか。

その比較する基準は、ある人にとっては重要なことかもしれません。

しかし、あなたも比較することは重要だと思うのか、否かということです。

あなたにとって有益ではないルールや習慣を手放してみてはどうでしょうか。

もっと自分の人生にとって自由で有益な考え方を取り入れてみてはいかがでしょう。

縛られた決まりきった考え方ではなく、自分の心に素直に従える考え方や習慣を取り入れてみてはどうでしょうか。

他人が決めた基準で生きると、それをクリアしたら気分がいいでしょう。

でも、クリアしたらその基準はもっと高い所に定められていきます。

もっと、もっと、足りないから満たさなければならないと欠乏の感情が大きくなってきます。

いつまでも心は満たされないままです。

人間みな生きています。

それぞれの一人一人の生命を持っています。

その人の個性、その人の命を謳歌できる方法はそれぞれ違うはずです。

自分の心にしっくりくる穏やかでやさしい考え方ややり方があります。

「~ねばならない」ではなく、「~したい」という心に従っていけば、現状が違ってくるのではないでしょうか。

お読み頂きありがとうございました。

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