主体的な生き方:「~しなければならない」を手放し「~したい」に変える

「~しなければならない」「~すべき」という考えがあなたを苦しめているとしたら、その「べき思考」を見直してみませんか。

「~すべき」を「~したい」という姿勢に変えると主体的になるため、自発的に行動するようになります。

そして、行動の結果に責任を持ちます。

自分の人生を主体的に生きるということにつながります。

「べき思考」は制限的な思い

人はそれぞれ自分の価値観や信念があります。

しかし、自分の信じていることがすべて真実とは限りません。

太陽は東から昇り西に沈むというのは真実です。

しかし「私は大人だから何でもできないといけない」、「私は能力がない」…というのは自分は真実だと思っているかもしれませんが、思い込みです。

真実と思い込みは違うものです。

自分が信じているものは真実といえるのか、思い込みをしているのではないかと疑ってみると思考に柔軟性が持てるのではないでしょうか。

人はものごとをありのままに見るのではなく、自分の価値観や信念を通して見ています。

例えば、職場で肩を落としうつむき加減にすわっている若い社員がいたとします。

「具合が悪いの?」と思う人もいれば「元気がないから失恋したんだろう。」と思う人もいるでしょう。

人はそれぞれ価値観が異なっています。

経験も違う為、その人なりの物の見方でものごとを判断します。

それぞれの価値観を通して物事を見るため見る人によって見え方が違うといえます。

私たちはやらなければならないことが多く、「すべきである」「すべきでない」「~しなければならない」「~してはいけない」という考え方をします。

「上司だったら部下をしっかり指導すべき」、「母親なら子育ては完璧にしなければならない」、「男だったら男らしくあるべき」、「女だったら女らしくあるべき」とか‥

これらの「すべき思考」には逆らうことができず、やらされている感があります。

積極的にやりたいということでなく、義務を果たさなければならないという思いがあります。

やりたいことではないから、先延ばしにすることも多々あります。

すべき思考を崩す質問

「すべきである」「すべきでない」「~しなければならない」「~してはいけない」という思考は、一切例外は認められないという考え方です。

一つの例外もなくすべて同じであるということは、現実の世界にあるでしょうか。

「私は主婦であるから完璧に家事をこなさなくてはいけない」、「誰に対してもやさしくなければならない」、「試験に必ず合格しなくてはいけない」‥と思っていたら。

「~しなければならない」という縛られた窮屈さを感じるでしょう。

本当の私は「~しなければならない」「~であるべき」なのでしょうか?

「べき思考」を崩す質問をしてみたらどうなるでしょう。

「もし、そうしなかったらどうなるのですか?」

「もし、そうしたらどうなるのですか?」

「誰でも?」

「みんな?」

「いつも?」‥‥  

限定的な思い込みが明らかになるのではないでしょうか。

「しなければならない」と思っていたことが、しなくてもいいことになったり、やってもやらなくてもいいように思えるのではないでしょうか。

「~したい」と思うもの

先ほどの質問にあるとおり、もしそれをしなかった場合どうなるのでしょうか。

「べき思考」には「~したくない」けれど「やらなければ恐ろしいことになる」、「やれば罰せられない」、「やれば許してもらえる」というような恐怖心が隠れているように見えます。

「べき思考」をやっている自分は、消極的で受動的な態度に思えます。

「しなければならない」は強迫観念に縛られているようなものであり、自らに制約を課しているといえます。

「もしやらなければ」、「そうならないとしたら」、恐いことが起こるのでしょうか?

その根拠があるのでしょうか?

そもそも「べき思考」はあなた本来の考えなのですか?

誰かの価値観を自分の価値観としたのではないでしょうか。

自分の価値観が自分自身を縛り苦しめるものなら、それは必要なものなのでしょうか?

「こうでなければならない」とか「そうしなければならない」と思うのは、自分が誰かの決めた”ある基準”に達していない場合ではないでしょうか。

その基準を決めたのは誰なのでしょうか。

自分の価値観だと思っていたけど、本当は世間の常識とか周りの人たちの価値観だとか、ということに気づくのではないですか。

「~しなければならない」という考えには、強制的な力、プレッシャーを感じます。

プレッシャーを持っていてはうまく行動できません。

良い結果を得るには良い状態で行動することが必要です。

「しなければならない」と思っていると、ネガティブな状態で行動するので、最低限のことしかやりません。

こう考えてみてはどうでしょうか。

「しなければいけない」と思っている行為は「しなくてもいい」し「してもいい」と思えたら、気持ちが変化するのではないでしょうか。

そして「~したい」と思えたら態度が違ってきます。

「~したい」ということは自らの自発的な意思です。

やりたいからやるということで、主体的に行動するということです。

「~したい」と思うと精神がポジティブな状態になり、高いパフォーマンスができるでしょう。

自分が心から「そうしたい」という願いで行動するほうが自分らしいのです。

自ら選択して行動

以前なじみのない街で、お昼ご飯を食べなければなりませんでした。

ご飯屋さんに入る時間がなかったのでデパ地下に行きました。

短時間でとりあえずパッと見ておいしそうな物をチョイスしました。

昔は決めるのに時間がかかっていたけど、最近は時間を掛けずにできるようになりました。

本当に小さなことですけど、些細なことでも自分で決める、選択して、そして、実行するのです。

人が決めたことに従って行動した場合、結果が自分の思う通りでなかったら他人のせいにします。

自分で決めたことなら、どんな結果であろうと自分は受け入れます。

結果がまずかったら、次はこうしようと考えることもできます。

「べき思考」の対極は、主体的に生きるということです。

主体的に生きることは積極的に生きることです。

「~しなければならない」のは本当に自分にとって必要なことなのか、考えてみたらどうでしょうか。

そうすることで得られる結果が欲しいのなら、そうすると決めるのです。

そうしたいから、自分はそうすると思うと「~したい」自分になっています。

本当はしなければならないことは何もないのです。

ただ、あなたがそうすることを選ぶか選ばないか、するのかしないのかということだけなのではないでしょうか。

お読み頂きありがとうございました。

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