具体的な表現、動きのある言葉で出来事を捉え直す:問題解決につなげる方法

言葉に隠れている情報を明らかにすることで、自分の抱えている問題をひも解き、解決策を導くことができることがあります。

自分の思い込みにも気づけることがあります。

自分の信念は思い込み

真実だと思っていることがそれは思い込みだったということがあります。

自分が正しいと思っているものは他の人も正しいと思っているはずだと考えます。

太陽は東から昇り西に沈むというのは、真実といえます。

「年長者は敬うべき存在である」「女性はかわいげがなくてはいけない」「男性は強くあるべきだ」というようなことは、真実だと思う人もいれば、そう思わない人もいます。

考えは言葉によって表わされます。

自分の考えが全て真実であるとはいえませんし、全てが間違っているともいえません。

自分の考えと他人の考えも違います。

人間は自分の思い込みを多分に持っているものだといえます。

言葉によって出来事に意味を与える

雨の天気は「いやだ」と思う人がいます。

傘があっても服が濡れるからいやと言います。外で遊べないからいやだ言います。

逆に雨が「いい」と思う人もいます。

雨不足で農作物が育たないと嘆く農家の人にとっては恵の雨です。

猛暑続きの夏であれば雨が欲しいと思っていた人も多いかもしれません。

ただこの場合、雨が振るという現象が起こるだけです。

出来事そのものは、無色透明無味無臭なものです。

雨が降るという現象に意味を与えているのは人間のイメージや価値観です。


自分のイメージや価値観を通してみて、はじめて意味が与えられることになります。

人それぞれ、イメージや価値観は違います。

例えるならば、人それぞれの色眼鏡でものごとを見ている状態です。

出来事に付けられた意味は、体験を重ねることにより信念となります。

私たちは体験を通して言葉によって、外側の世界に意味づけをしていきます。

意味づけされた体験は潜在意識に蓄積されていきます。

そして記憶となります。

同じような体験を重ねて、その出来事を同じように評価して意味づけを行っていく。

そしてその出来事に「関連性」を探すということもします。

以前体験したことと同じことが起こったのであれば…。

だから、私の考えは正しいとなり、価値観が信念となっていきます。

「私はダメ人間」と思っていたら、うまくいかなかったら「だからできないといったんだよ」と自分自身に言っています。

ダメな自分を強化していきます。前もダメだったから、今度もダメだということを受け入れてしまいます。


信念はそれが「本当」である「有効」であると考えるものです。

そして「それが現実である」と感じるものです。

信念は外界から信念を強化するものを探し出し、関連付けて無意識の領域で強固になっていきます。

人は無意識の領域にある信念にコントロールされています。

その上、信念を持っていることさえ気づけないようになります。

いったん出来上がった信念は、その信念のイメージを被せてしか外の世界を見ることができなくなります。

頭の中にある表現や言葉によってしか、反応しかできなくなります。

信念はどのように感じ反応すべきかまでを決めていきます。

そして、ある定まった身体感覚の反応や行動へとつながります。

たとえば犬恐怖症の人であれば、犬を見ただけで心臓がドキドキしその場から逃げ出したくなる感覚が、犬を見るたびに起こります。

問題分析:具体的に描写し動きのある言葉を使う

子どもに「今日学校はどうだった?」と聞くと「おもしろかった」と答えます。

私の質問もアバウトですが。答えの「おもしろかった」というのは、様々な情報が入っていると思います。

昼休み友だちと鬼ごっこをして面白かった。授業中先生が面白いことを言って、みんなが笑ったから面白かった、

という情報があります。

言葉は体験したことを省略し単純にしたものと言えます。

言葉に隠れている情報を明らかにすることで、自分の抱えている問題を紐解き、解決策を導くことができます。

どうにもならない問題と思っていると硬直し何も変えられないと思ってしまいます。

でも、言葉を使ってその問題をほぐしてみるのです。

大きな塊を小さい塊に分けていくというイメージです。

大きく動かない問題が細かい問題に分けることができたら、解決への手がかりが見つかります。

行動の選択肢が増えます。

 
「私は喘息だ」と言ったとします。

喘息は名詞です。名詞は、もの自体を表わす言葉です。

名詞は普遍で変わらないものという印象を与えます。

私=(イコール)喘息は、固定して動かないイメージを与える名詞と自分が一体になっています。

自分と名詞の言葉を結びつけると強固な結びつきになってしまいます。

状況を変えることができたのに、変えることが困難なようにイメージされます。

自分の可能性が閉ざされ、変化しようのないものに思えてしまいます。

正確に言うならば、「私は喘息という病気を持っている」ということになります。

「持っている」という動詞がついたならば、「持たなくなる」こともできます。

私=喘息として捉えている時より、問題の解決に向け意識が再び働きはじめるのではないでしょうか。

「人間関係に問題がある」と言う言葉を使ったら。そう思い込んでいるとしたら。

「人間関係に問題がある」であれば「人間関係」は具体的に誰と、どのような人間関係なのか?ということです。

そしてどのような問題なのか?を明らかにしなければ解決の方法を探れません。

職場の上司、同僚、部下なのか、家族だとしたら親、兄弟姉妹、子どもなのか等を特定していきます。

具体的に出来事があったのかどうか?

ただ何となくなのか?

問題を細かくすることにより、小さい一つ一つの問題に対しての解決の糸口が見えてくるのではないでしょうか。

「努力しても無駄」と思っているとしたら。努力=無駄ということになっています。

どんな目標を設定したのですか? 

具体的に何を努力したのですか? 

誰が努力したのですか? 

その努力で何かが改善されたことはあるのですか? 

無駄と思ったのは、どういうことからそう思ったのですか?

結果の捉え方は他にもあるのではないですか?

このように自分自身に細かく質問してみることをおススメします。

何か見えなかったものが見えてきて、何か気づくことがあると思います。

一旦出来上がった信念はなかなか変えられません。

疑うこともしなくなります。

問題を言葉によって細かく描写していくと、隠れていたものや見落としていたものがあったりします。

視点を変えて自分自身に質問をしていくと、思い込みに気づけることがあります。

お読み頂きありがとうございました。

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