人間はセルフイメージを体現する
質問します。
「あなたは自信がありますか?」
一般的に自信があるという人より、「ない」という人が多いように感じます。
自信がない人は、なぜ自信がないのでしょうか。
自分を認められない?、自己否定が強い?ということでしょうか。
自己否定が強いとしたら、セルフイメージも低くなります。
セルフイメージは自分が自分をどう思っているか、自分をどのように評価をしているかということです。
私たちは、長所をあげるのは苦手で、欠点に目が行きやすい傾向にあるようです。
人間はポジティブよりもネガティブに焦点が行きやすいともいわれます。
なので、「私は能力がない」「私はダメな人間だ」と思い込みやすいようです。
反対に、「私は自信がある」という人に対しては、生意気とか、思い上がっているとか、足を引張られることが起こりかねません。
出る杭は打たれるということわざがあるように、目立たないようにした方が打たれることもないから、「自信がある」とはっきり言えない雰囲気があるかもしれません。
自信がないという場合の話になりますが、人間はセルフイメージ通りの行動を取るといわれています。
セルフイメージというのは、先ほど書きましたが、「私は〇〇である」というように自分を規定する言葉です。
例えば「私は運動オンチだ」というセルフイメージを持っている人がいるとします。
そうするとその人は運動が苦手であるから、スポーツはやりたがりませんし、やったとしても高いパフォーマンスは期待できません。
スマートな走りとか華麗な身のこなしができないだろうし、運動オンチな姿を表わします。
「運動できない自分」をずっと表現し続けることになります。
セルフイメージが低いのは、生まれながらのものなのでしょうか。
子どもの頃のネガティブな経験がきっかけになっていることもあるでしょう。
例えば、子供の頃みんなの前でボールを上手くキャッチできなかったことがあり、それで自分は運動がダメだと思い込んだりします。
「私は運動オンチなんだ」と決めつけてしまいます。
でも、球技が得意でなくても、早く走れるとか、平均台に乗ってすいすいと歩けるとか…、不得意なものがあったとしても、上手にやれたものもあったのです。
それを、一つがうまくいかなかったら、全部がうまくできないと思い込んだのかもしれません。
一つできなかったから全部できないと決めてしまうと、全部できなくなってしまいます。
そして、なにもしないこと、やらないことが楽だったのかもしれません。
低いセルフイメージは行動に価値を感じない
自分の行動に価値を感じられないことが低いセルフイメージをつくったといえます。
自分のやった事が意味あることだったのかがわからないとセルフイメージは育ちません。
誰からも評価されないと「私はこれでいいのかな?」と自分を疑うことが起こります。
周りの人たちによる適切な評価が行われなかったから、あるいは認められなかったから、自分の行動に確信が持てないのです。
言われた通りちゃんとやっても評価されなかったから、自信が育たなかったということがあります。
自分自身に低い評価を与えて、それを信じ込んでしまったわけです。
周りの評価が低い、又は評価がないとしたら、失敗した自分には価値がないと結論付ける、評価されない自分には価値がないと思い込みます。
いったんセルフイメージが出来上がると先ほども言ったようにセルフイメージを維持するような行動をしていくことになります。
人の価値は行動の結果ではない
私たちは、業績によってその人の価値が決められると思っています。
その人のやったことの結果により評価されます。現実はそうなっているのですが、…。
競争をして、順位をつけられることに慣れてしまったから、そう思い込むのも当然でしょう。
行動だけ重視していると「業績を残せない自分」=「価値がない」という考えになります。
必然的に、できない自分はダメだと思い込みます。
自分が自分を厳しくジャッジしているから価値がないと自己否定をします。
私たちは何かしなければならない、何かを残さなければならないとあせります。
良い結果が出ない私はダメな人間と自分で決めてしまいます。
ここで常識を疑って欲しいのです。
あなたの周りを見てください。
ただそこにいるだけで周りの空気を明るくしてくれる人、安心感を与えてくれる人、信頼できる人…そういう人がいるでしょう。
何か特別なことをするというわけではなく、ただそこにいて安心できる、明るい気分にさせてくれるそういう人です。
人間以外の生物、例えば植物をみてみます。
花の咲いていない桜の木は価値がないのでしょうか?
今の季節、秋の桜は葉が黄色や赤色になっています。
冬には葉を落とし春を待ちます。
桜の木に花が咲いていないから価値がないとは思わないでしょう。
花が咲いていないから劣っていると非難しないでしょう。
成長している、変化の途中だと捉えます。
桜の木は桜であって、花が咲いたり、葉が茂ったり紅葉したり、葉を落としたり…、季節によって姿を変えますが、桜の本質は変わりません。
人間も同じではないでしょうか。
他の人と同じようにできないから、その人には価値がないといえるでしょうか。
人間はその人のやったことでその人の価値を計ろうとします。
すばらしい業績を上げた人は、もちろんすばらしいです。
賞賛されるべきです。
でも、他人と比較してそういう業績がない人は、価値がなくダメな人間と断言できるでしょうか。
赤ちゃんを思い浮かべてください。
赤ちゃんは一人では何もできません。
お母さんや周りの人たちからお世話されています。
私たちは、赤ちゃんを見て自分で何もできないから価値がないと思うでしょうか。
もちろんそんなことは思わないでしょう。
反対に周りの人たちは、なんてかわいいのだろうと笑顔になります。
赤ちゃんからエネルギーをもらいます。
存在そのものが、かわいく、うれしく、いとおしくなります。
大人のあなたは赤ちゃんの時と同じく、存在しているだけで価値があるということです。
行動しないと価値がないということはないのです。
もちろん、やりたいことをやるのはいいことであり、どんどんやってみたらよいでしょう。
しかし、心が抵抗していることをやろうとして結果を出さなければならないと苦しむことはないのです。
やらなければならないと自分を追い込むことを手放してください。
そして、あなた自身の中に、あなたの幸せを願ってくれている「もう一人の自分」がいます。
行動だけが人間の価値を決めるのではなく、あなた自身が価値ある存在であることを忘れないで下さい。
お読み頂きありがとうございました。