承認欲求を満たさなくても、すでにあなたは愛されている~無意識の中の自分を感じる

承認欲求に捉われるのは

私たちは多かれ少なかれ、他者から認められたいという欲求があります。 

「今、私は一人だ。」、「周りに私を認めてくれる人は誰もいない。」という孤独感を抱き、漠然とした不安感に襲われることがあります。 

孤独な私、一人ぼっちだという思いが支配している時は、視点が自分の内側に向いています。

誰も私を認めてくれないという考えに陥っているので、自分のことしか考えていない状態になっています。

「どうして私を認めないの?」と他人を責めています。

他人が私をどう思っているかが重要であって、私の価値は他人の評価で計られると思っています。

だから、他人からの承認を強く求めるのです。

考えてみて欲しいのですが、他人があなたを認めるという前に、あなたはあなた自身を認めているでしょうか?

他人が下すあなたへの評価はすべて同じとは限りません。

同じように思ってくれる人もいれば、そうでない人もいます。

自分が高評価だと思う点数をくれる人もいれば、低評価する人もいるでしょう。

他人に自分の評価を任せる前に、自分が自分を認めているでしょうか。

他人から何か言われて落ち込みの激しい人は、賞賛されることに敏感だといわれます。

他人から賞賛されると有頂天に喜びますが、反対に低評価であると極端に落ち込むという特徴があるようです。

自分の価値は他人の評価にかかわっていると思い込んでいたら、他人からの賞賛や批判に一喜一憂することになります。

他人の価値観に自分を合わせるのではなく、自分が自分を認めることが大事ではないでしょうか。

自分が自分を認めるということは、自分を信じるということです。

うまくいった自分は当然と思い、失敗した自分もOKと認めることです。

失敗してカッコ悪い自分でもいいと受け入れることです。

こうでなければならないという考えを緩めてみてはどうでしょう。

絶対とか、これしかないというのではなく、そうであって欲しいけど、そうでなくてもいいかなとゆるく考えるということです。

私たちは、自分の考えと違う人は受け入れたくないと思いがちです。

でも、「そういう考え方もあるのだな、ふぅ~ん。」というように、認めるのです。

自分は正しいという考え方ではなく、相手も自分が正しいと思っていることがわかると正しいことは一つではなく、たくさんあることに気づきます。

自分の許容範囲を広げることがいいかもしれません。

自分を認めることは他人を認めることにも通じるように感じます。

自分と同じように他人も考えるのだなと(思考の中身は違うとしても)思えると気持ちが緩むのではないでしょうか。

もう一人のあなた

人間には「意識」と「無意識」があります。

「他人が許せない。」とか「どうして認めてくれないんだ。」と意識の中で論理的に考える自分がいますが、無意識の中にも自分がいるのです。

「意識の自分」が「無意識の自分」に気づくと思いを広げることができるように思います。 

「無意識の自分」を私は「もう一人の自分」と呼んでいますが、「もう一人の自分」はいつも自分を見守ってくれている存在なのです。


あなたで言えば、「もう一人のあなた」はあなたの命が芽生えた時からあなたとずっといっしょにいるのです。

「もう一人のあなた」はいつもあなたを見守り、励まし、力を貸してくれるすばらしい存在です。

人が承認欲求を持つのは仕方ないのかもしれませんが、もうすでに自分は愛される存在であるということがわかれば、承認欲求へのこだわりがなくなるように思えます。

自分の中に、どういう自分であれすべて受け入れて認めてくれているもう一人の自分がいるからです。

お読み頂きありがとうございました。

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