「自分を知りたい」「本当の自分を見つけたい」、そんな思いから“自分探しの旅”に出る人は、少なくありません。
けれど、昔の私はそんな人たちをどこか冷めた目で見ていました。
「自分をわざわざ探さなくても、今ここにいるじゃない」そう思っていたのです。
一方で、若いうちに外国に行くといいと言う人もいました。
異文化に触れることで、今までの自分を振り返るきっかけになったり、当たり前と思っていた環境が実は恵まれていたと気づけるからだと。
それでも私は、「自分探し」という言葉に少し違和感を抱いていました。
どこか感傷的で、現実から離れて“旅人”という責任のない立場になろうとしているようにも感じたからでした。
でも、今は思います。
旅に出てもいいし、同じ場所にとどまっていてもいい。
なぜなら、どちらも「旅」なのだと感じられるようになったからです。
目次
自分を知りたいと願うとき、人は何を探しているのか

「本当の自分を知りたい」と思う瞬間は、たいてい何かがうまくいかなくなったときに訪れます。
日常の中で満たされない思いが積もってきたとき。誰かの言葉に過剰に反応してしまったとき。
自分は気を使って優しくしているのに、まわりからは思ったような反応が返ってこないと感じたとき。
そんな心のズレや違和感が、「今の私は、本当の自分なのだろうか?」という問いを生み出すのかもしれません。
けれど、本当の自分とは、どこか特別な場所に隠れているわけではないのです。
むしろ、日常の中でふと揺れた感情や違和感こそが、真の自分に触れるきっかけになることがあります。
「旅」とは、非日常を通して感性を取り戻すもの

哲学者・三木清は「旅について」の中でこう述べています。
「旅とは、漂泊であり、遠くて近いものである」
「旅の意味は、目的地ではなく、その途中にある」
旅に出ると、普段は気づかない小さなことに心が動くようになります。
見慣れた風景や自分の感情の変化に、静かに耳を傾ける時間が生まれるのです。
でも、この“感受性”は、遠くに行かなくても呼び戻すことができます。
誰かの何気ない言葉に傷ついたとき。
理由のわからないモヤモヤが心に浮かんだとき。
そんなときこそ、自分と向き合う旅が始まっているのだと思います。
自己理解は「行動」ではなく、「観察」から始まる

自己理解というと、「何かをしなければ」と思いがちです。
けれど、本当に大切なのはまず自分を“観察すること”。
自分の中で何が引っかかったのか。
どうして悲しみが生まれたのか。
本当は何を望んでいたのか。
そうやって自分に問いかけ、静かに耳を傾けていく時間が、本当の自分と出会うための入り口になるのです。
自分探しとは、「何かが足りない自分」を探す旅ではない

「私には何かが足りない」「もっと魅力的な自分になりたい」……
そんな思いから自分探しを始める人は、多いかもしれません。
でも本当の自分探しとは、「今の自分を否定する旅」ではなく、これまで無視してきた感情や、本当は大切にしたかった想いに、あらためて目を向ける旅だと思うのです。
何か新しいことをするよりも、まずは“じっと見る”こと。
自分の気持ちや感情、身体の感覚に、ただそっと意識を向けてみること。
それが、自己理解の土台になるのだと思います。
自分を知る旅は、今ここからでも始められる

自分探しの旅に出るのに、特別な準備はいりません。
遠くに行く必要も、何かを変える必要もありません。
心が少しでも揺れたその瞬間から、旅はすでに始まっています。
たとえ、外から見て何も変わっていないように思えても、あなたの内側では、静かに変化が起きているのです。
いつもの日常の中で、立ち止まったり、気づいたりしながら、私たちは少しずつ前に進んでいます。
昨日より少しでも変化している、それで十分。
どうか焦らず、ゆっくりと。
その人生という旅路を、自分のペースで味わっていきましょう。
お読みいただきありがとうございました。