「この世は地獄なんだ。だから、苦しいことを我慢して生きなきゃいけない。」という人がいました。
その人は周りの大人たちからそう教わったんだろうなと感じました。
久しぶりに地獄とか天国という言葉を聞いたような気がしました。
現代の私たちが考える「地獄」とは何でしょうか?
苦労すること?
嫌な人が周りにいること?
学校や職場でつらい目にあった?
自分の思う通りにいかないこと?
もっと悲惨な経験だよ、と言われる方がいるかもしれません。
この世は地獄と考えてずっと我慢して生活していたら、いつか幸せになれるのでしょうか。
不幸なのは周りのせい?
今不幸なのは環境が悪いからであって、私はちゃんと頑張っているし、何も悪いところはないと思っているのではないでしょうか。
理解してくれない周りが悪い、もっと評価されていい、もっと暖かい言葉をかけてくれてもいいじゃないかと思っています。
周りに「もう少し、私に○○してくれてもいいじゃない?!」という不満があります。
しかし、外側の世界の人たちのほとんどが、私にやさしくはないと感じます。
「足りないから、充分じゃないから私に与えて!」と周りに要求しても、思う通りにはいかず、我慢する日々です。
環境が変わるのを待っていても、ずっと変わらないかもしれません。
むしろ反対に、他人は私にいろいろ要求してきたりします。
不幸の原因が自分の外側にあると思っていると、自分の状況を良くするには周りが変わってくれるのを待たなければなりません。
でも、変わるのを待っているとしても、いつまで待てばいいのか予測できません。
ずっと変わらないかもしれません。
人はポジティブな考え方しかできない
ジョセフ・マーフィーはこういうことを言っています。
「人はポジティブな考え方しかできないということをお教えしましょう。あなたが私のいうことを信じないと否定しても、結局のところあなたは信じないということを肯定しているわけです。それなら少しでも自分のために自分の人生のためになることを肯定して下さい。」
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今、周りのせいで不幸なのだから、周りが変わってくれたら私は幸せになれると信じています。
しかし、環境や周りの人は私の思い通りにしてくれるかわかりませんし、いつになれば変わってくれるのかもわかりません。
私が不幸なのは、周りのせいと思っている自分がいます。
先ほどのジョセフ・マーフィーの言葉の中に「自分のために自分の人生のためになることを肯定して下さい。」とあります。
私が不幸なのは周りのせい、この世は地獄だから我慢すべき、と信じているのなら、この思い込みは自分のためになるのか考えてみます。
周りが変わってくれるのを待っても、いつになるかもわからないし、変わらないかもしれません。
回りが悪いと思っている考えは、自分のためになる信念なのでしょうか?
それならば、周りのせいの反対は、自分のせいとなりますから、周りのせい⇔私のせい と考えてみてはどうでしょうか。
先ほど言ったように、他人から何かしてもらうのをずっと待っていても、何も変わらないことは容易に想像できます。
「足りない、足りない」「私に与えて!」と他人に何かしてもらうのを待っていることは、自分の人生を他人や自分以外のものにゆだねていることになります。
周りを変えるのは難しそうだけど、変えることができるのは自分だと気づきます。
受け身であるよりも、能動的に考えたり動いたりするほうが、変化が起きそうだと思われます。
出来事の解釈を変える
出来事の意味を捉え直すと、自分の意識が変わります。
元来、出来事は無色透明無味無臭なものです。
ただ、現象や事実があるというだけであって、そこに意味を付けるのは人間です。
出来事に辛い、苦しい、悲しいと意味をつけているのは当人です。
「この世は地獄」と考えることもできますが、反対に「この世は天国」と考えることもできます。
地獄と捉えれば、辛いことや嫌なこと、不安なこと嫌悪することがたくさん目に入ります。
ですが、天国と思えば、他人の親切ややさしさ、感謝できること、ありがたいことが多くあることに気づきます。
そうはいっても、人間はネガティブな感情を感じやすいので、否定的な考え方をするのが当たり前とも言えるわけですが…。
ポジティブな捉え方は意識してやらないと難しいといえそうです。
出来事や現象が起こりますが、起こったことをどう捉えるかという解釈は人間がするものです。
ものごとの捉え方は、服のように取り替えることができるとも考えられます。
だったら、エネルギーを奪う考えや不幸にする考え方は手放しても良いではないでしょうか。
人を幸せにする、エネルギーを与えてくれる捉え方を身につけるように意識を変えてはどうでしょうか。
考え方や捉え方を変えるといわれても、変わることに対する恐れが出てくることがあります。
今まで「地獄」だと思っていたものを、急に「天国」だと思えといわれてもとまどいが起こるし、すぐにできそうもありません。
いままでの思考のクセを変えるというのは、抵抗があるため、練習が必要になります。
思考のクセを直していけば、違う視点を持つことができて、自分を少しずつ変えて行くことができます。
欠乏に焦点を合わせるのではなく、すでに持っているものに目を向けるのです。
ものごとのプラスの面を見るようにしてはどうでしょうか。
与えられていたものに気づく
今まで、「~してちょうだい」「~して欲しい」と外側に求めていたけど、これからは与える側になると決めてはどうでしょう。
そして、自分の中にあるもの、すでに持っているものに目を向けるのです。
持っているものに焦点を当てると、自分はこんなにも持っていたのかと驚きます。
例えば、健康な体、家族、友人、…仕事、住まい、お金、…
当たり前と思っていたものが、当たり前でないと思えたら、…。
蛇口をひねると水が出てくることにも、そうでない時のことを思い出したら、恵まれているなと感じます。
エネルギーを注いだ思いが、力を持つといわれます。
嫌なことをずっと考え続けているとその嫌なことにエネルギーを与えていることになります。
嫌なことがどんどん大きくなっていきます。
なので、イヤなことの反対、つまり良きことにエネルギーを与えてみてください。
自分の中にある豊かさに目を向けてみます。
私にはすでに与えられていたんだと気づきます。
イメージしてみてください、心の中の器の中にある善の炎が揺らめいている光景を。
その炎はかすかに揺れています。炎の勢いがありません。
今まで自分がエネルギーを注いでこなかったからです。
その炎にエネルギーを与えてみます。
そうすると炎は大きくなって自分を満たしてくれます。
今までは求める側にいたとしたら、これからは与える側になると決めたらどうでしょう。
天国というのは心の状態です。
何かが足りないのではなく、もうすでに与えられていたことに目を向けるのです。
視点を変えて見れば違う世界が広がります。
欠乏にこだわるのではなく、すでに持っているものを思い出し数えてみると、この世は地獄ではないといえるのではないでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。