出来事に意味を与えるのはあなた:出来事は無色透明~思い方しだい

出来事は無色透明

「ストレスは自分自身が作り上げたものなのですよ。」と言われたらどう思いますか?

「いや、それは違う。周りのせいでしょう!」と言いたくなるでしょう。

「私は頑張っているのに何か上手くいかない。」「足を引っ張る奴がいる。」とか、上手くいかない状況を並べることができます。

ストレスの原因は、周りのせいではなく、あなた自身なのです。


会社で気の合わない上司に、いつも怒鳴られストレスとなっているかもしれません。

嫌いな人や苦手な人がいることは、普通でしょう。

「嫌な人を好きになりなさい」というわけではなく、嫌いだったら嫌いでかまわないのです。


職場では、その怒鳴る上司を、嫌いでも好きでもない人もいるのではないでしょうか。

人それぞれの反応の仕方は、違うものです。

同じ出来事でも辛いと感じる人もいれば、「そうでもないよ」と言う人もいます。

当たり前ですが、人はみな考え方や感じ方が違うのですから、自分と同じような反応をすべての人がするわけではありません。

しかし、出来事は一つなのです。

例えば、お天気が雨だとします。

一般的に、雨はイヤだと思う人が多いでしょう。

傘を差しても、服が雨に濡れて不快に思うかもしれないし、お洗濯物が乾かないから困ると思うからかもしれません。

でも、雨の中でもハッピーな人がいるのです。

映画の「雨に唄えば」の印象的なシーン。

主人公はデート後恋人を家まで送り、雨の中を帰ります。

雨なんか気にせずというよりも、気にならないといったほうがいいでしょう。

心の中は、晴れていて幸せいっぱいなのです。

挿入歌の「雨に唄えば」(Singing in The Rain)の通りなのです。

主人公は雨なんかどうでもいいのです。気にもなりません。

むしろ、雨に濡れたり、水溜りをけったりして、楽しんでいます。

出来事に意味を与えているのは、わたしたちです。

自分なのです。

意味づけするのはあなた

人間は、小さい時から自分の価値観(プログラム)や観念を作り上げていきます。

いったんプログラムが出来上がれば、ほとんどの場合、生涯、自動的にそのプログラムが繰り返し発動されていきます。


完璧主義の価値観が出来上がったならば、その価値観を強化するような体験を、繰り返し体験していくことになります。

完璧主義者は、すべて完璧にならないと気に入りませんし、落ち着きません。

少しでも欠けていたら気になって仕方がなく、完璧にできない自分を責めたりします。

完璧主義ゆえ苦しむ場合も多くなります。

自分が作り上げた価値観や観念は、「良い・悪い」という価値判断を伴います。

完璧主義だったら、完璧なもののは良いものであり、反対に完璧でないものは悪いものということになります。


次に「良い・悪い」という判断が、「嬉しい・辛い」という身体的な反応となります。

良いものであると判断されたら、うれしい、すばらしいというポジティブな感情が伴い、悪いものであると判断されたものは辛い、苦しいといったネガティブな感情が付いてきます。

辛い感覚やストレスだと思う感情(感覚)を自分にもたらすものは「出来事そのもの」ではなく、自分の価値観でありその観念(イメージ)なのです。

価値観がものごとの良い悪いを決めており、その価値判断で、良い感情になるかネガティブな感情が発生するか、なのです。

冒頭言った「ストレスはあなたが作っている」というのは、出来事や人物を、自分の価値観を通して見て、否定的な判断を下し、ネガティブな感情を発生させるということです。

本来、出来事は、それ自体は無色無味無臭なものであります。

先ほど書きましたが、人間は、出来事を自分の価値観を通して見ます。

すると、自分の価値判断に伴い、良い、悪いの判断が下されます。

そして、価値判断に紐付けられている「うれしい」、「辛い」という感情や身体感覚の反応が発生します。


最終的には、価値を決定しているのは身体感覚にあるといえます。

「良い」、「悪い」と判断されたものがポジティブまたはネガティブな感情を生じさせ、その感情や感覚は自分の身体が感じるということになります。


人間は自分が感じているものが、真実であると思うものです。

客観的に見て、すべて信じているものが真実であるとはいえません。

ネガティブな感情は身体感覚に、例えば強い恐怖や強いストレスなどは、自分の身体に直接影響を与えることになります。

うつ状態や不安感、無気力など、目に見える症状として現れたりします。

また、ネガティブな感情やストレスは、自分の視野を狭めて自分の殻に閉じこもるという結果をもたらしたりします。

自分がどう思い、どう感じるかは、価値観・観念(イメージ)によるのです。

価値観や観念は、無意識のレベルにあります。

いったん出来上がった価値観や観念は不変ではなく、変えることができます。

自分の思いや想念は、観念(イメージ)を修正することで変えることができるし、身体感覚も変えることは可能なのです。


価値観をゆるめることで、「良い」「悪い」を緩めることができます。

このように自分の価値観や観念が、すべての出来事に自分なりの意味を与えているのです。

お読み頂きありがとうございました。

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