人間関係の悩みの原因
職場の人間関係に悩みがあるという人は、少なくないでしょう。
自分の仕事と関係のある同僚や後輩の危なっかしい仕事ぶりに、何か言いたくなることがあります。
相手に注意した際、話は通じたようで理解してくれたと思ったけど、その後、不機嫌にドアを音を立てて閉めたり、ロッカーをけったりと態度に不満が表れていて、暗い気持ちになることがありました。
他人が注意してくれたら素直に聞いて、自分の悪いところは改めようとするのが人のあるべき姿だと思うのですが、相手はそうではないようです。
どうしても先ほどのふてくされたような同僚の態度は許せません。
ますます相手に対する心のモヤモヤが大きくなっていきました。
こちらの期待する言動を取ってくれない相手に、イラつき嫌悪感を感じます。
相手が自分の期待する言動を取ってくれればストレスはありませんが、実際は期待を裏切られる真逆の状態になるわけです。
ようするに、こちらと同じ価値観になってもらいたいわけです。
しかし、ここで大事なことを忘れているのではないでしょうか。
人は、他人を変えられないということです。
他人を自分の思う通りに変えることはできません。
言われるように、変えられるのは自分だけです。
他人を自分の思う通りにコントロールしたいということは不可能なのです。
力づくで押さえつけたら、表面上は言うことを聞くかもしれませんが、そんなことはできるわけがありません。
相手が、こちらの思うような行動を取ってくれればいいのにと思いますが、たいていは無理なお話なのです。
もしあなたが相手の立場だったらどうでしょう、立場を変えて考えてみます。
同僚から注意された後、同僚が期待する反省した態度やすなおな行動を取ることができるでしょうか。
人間は理屈ではわかっていても、すなおに行動できない場合があります。
誰でも注意されたら、心から反省した態度になるでしょうか?
注意するのが同僚であればなおさらライバル心もあり、素直に従えないのではないでしょうか。
その人の考え方や行動の仕方を他人が強制はできません。
自分の考えや行動は、あたりまえですが、自分が決めるものです。
自分に心があるように、自明ですが、他人にも心があるのです。
自分に自由があるように、他人にも自由があるのです。
自分を尊重するならば、他人の考えや行為も尊重できます。
言葉遣いにトゲがあるとか、態度がふてくされていると見えても、それはその人の自由ですし、他人に不愉快にうつったとしたら、それはその人の問題です。
私がとやかく言うことではないし、不愉快に思ってもそれはその人の反応ですから、相手の態度に悩む必要はないといえるのではないでしょうか。
私の正義と他人の正義
それでも相手の言動に悩むということは、「私が正しい」と思い込んでいるからではないでしょうか。
人間は正しいことだと思うことを信じているので、当然ですが、自分は正しいと思っています。
他人も同様にその人はその人で自らは正しいと思っているわけです。
と同時に、人間はみな、同じ考えをするものでもありません。
同じ見方をする人もいれば、違う意見を持つ人もいます。
自分が正しいと固執することは、それに合わない他人の言動が許せないことにつながります。
「こうでなければならない」、「そうでないとイヤだ」という思いは、エゴから来るものではないでしょうか。
エゴは「自分が正しい」という自分中心の心です。
エゴは、自分が一番という思いから来るものです。
「これしかない」のではなく、「あれもある」、「それもありかも」と認めることがエゴをゆるめることになります。
自分だけが特別ではなく、他人も自分と同じように特別と思えたら、他人の言動にイラつくことがなくなるのではないでしょうか。
「私が正しい」という考え方を「エゴではないか?」と疑ってみてはどうでしょうか。
「私も正しいけど、他人も正しい」という気持ちになれたら、他人の言動が気にならなくなるでしょう。
先ほども言いましたが、相手の言動に悩むことは、相手を自分の思い通りにしたいというエゴから来ています。
相手がどういう言動をとるかというのは、相手の問題ですから、私の問題ではないということです。
他人は変えられないのですから、変えられないものをあれこれと考えることは、無駄なことにエネルギーを使っていることになります。
それよりも、自分のエゴに気づき、ゆるめることのほうが、健康的です。
お読み頂きありがとうございました。