人の話を聞かない理由
他人の意見を素直に聞けるというのはできるようでできないものです。
それは、自分の意見が正しいという思いが強いからかもしれません。
そして、心のどこかで相手に対して自分の意見に賛同して欲しいと思っているからかもしれまん。
自分の中にある「我」を考えました。我とか、エゴというものです。
「我が強い」といわれるといい意味ではありません。
エゴとは自分自身に執着する心で、自分さえよければという自分中心の考え方です。
人間は生存欲求が一番にあります。
私たちはみなそうですが、自分の命が一番大事です。
命を守るために、自分の命を脅かすこと出来事やものには、恐怖心という感情で自分自身に警告を発します。
自分が一番ですから、何でも自分中心がいいということになります。
脳には一般化という機能があるといわれます。
脳は、ある場合はこの人を優先してもいい、またある時は自分が一番でいい、また別なときはあの人が中心でいい、という様には考えません。
脳は端的に答えを出すために、個別にいろいろ条件を変えながら考えることはしません。
脳はすぐに答えを出す必要があるからです。
危機が目の前に迫っていたら、時間のかかることはやっている余裕はありません。
なので、自分の命が一番大切ですから、どんな条件下であっても自分が一番となります。
エゴの根底にあるのは恐怖心です。
恐怖の感情を使って自分を守ろうとします。
エゴは自分がすべてです。
自分は正しいと思っています。
そうして私たちは、自分が正しいという思考で他人を裁きます。
敵対する相手を攻撃したり、争ったり、許さないと思う心をつくります。
恐怖心から来ているエゴは、豊かさを経験することはなく、貧しさを体験することになります。
いつも奪っているからです。
なぜ、他人の意見を受け入れられないのでしょうか。
自ら他人の意見を求めたのに、です。
自分の意見が一番正しいと思っているから?
意見を変えてはいけないと思い込んでいるから?
自分が期待する答えを待っているのかもしれません。
答えはすでに自分の中にあって、他人の意見が自分と違ったら聞く耳を持たないということになるのかもしれません。
自分が迷っているから他人に意見を求めたのに、自分の意見に固執しているため、その人が解決策を与えているのに受け入れられないことが起こります。
必ずしも他人の意見が正しいとは限りませんけれど、新しい視点を持つと、再考するきっかけにはなるのではないでしょうか。
執着せず穏やかな自分に戻る
他人の意見を受け入れられる人は、自分に執着しない人です。
エゴのない人、少ない人といえます。
エゴは自分を否定的な感情で振りまわそうとするものです。
私たちは、ネガティブな感情に翻弄され続けてきたように思います。
今まで、怒りや不安、恐れという感情が生ずるのは当たり前だと思ってきました。
しかし、「本当の自分」というものは、「エゴ」ではないのです。
元来、人は穏やかな満ち足りた感情を持って生きている存在であるからです。
その穏やかさを打ち壊すのが「エゴ」と呼ばれるものです。
いつも感情に振り回されてきました。
エゴに翻弄され、怒りや恐れの感情をコントロールできなかった体験を多くしてきました。
しかし、エゴの言いなりにならないことでもっと自分を広げ、幸せを感じる心になれるのではないかと思うようになりました。
エゴを客観的にみるという姿勢がとれたら、と思います。
怒り、不安、恐れの感情に囚われる自分を感じたら、「私は何を恐れているのだろう?」と内観してみるのです。
自分の中心に意識を向け集中してみます。
エゴは自分中心でわがままなのですが、私のことを一番に考えて「私を守ろうする思い」は否定できないでしょう。
自分を守ろうとするのは、恐怖心や恐れから来るネガティブな感情です。
欠乏の感情が大きくなり、自分にないものを他者から奪おうとします。
恐れの感情は他者と敵対する状態を生み、協調する姿勢や共感する心をなくします。
恐れの感情に支配されるのではなく、愛の感情で生きていくと、視点を変えてみます。
エゴに支配されない自分を目指すということです。
目指すというより、自分が先と思い始めた頃より、前の自分に戻るといったほうが良いでしょう。
人間としての元の姿、恐れではなく愛を基準にすることです。
ジェームズ・アレンはこう言います。
「自我滅却が意味するものは、『低次の自我を捨て去ること』であり、『心の中から、分離や不和、苦悩、病気、悲しみなどにつながる、あらゆる要素を排除すること』にほかなりません。」
「たとえば、ある人が短気を起こしそうになったときに、自分のその身勝手な感情と格闘して、それを投げ捨て、忍耐と愛の精神とともに行動したとしたら、そのとき、その人は自我を滅却するための作業を行ったことになります。」
「自我の克服とは、心の中から、気高い、誠実な、永遠に持続する要素は何ひとつ放棄することなく、卑しい、誤った、すぐに過ぎ去っていく要素のみを放棄することです。」
お読み頂きありがとうございました。