女同士の関係は微妙なものです。
友達だったら、親しくなるほどに愛着が生まれ、友情に発展します。
それが親子、母と娘であれば複雑になります。
子どもの頃から一緒に暮らして、仲良し親子になる場合もあれば、どこかぎごちない関係になる場合があります。
特に母親と長女の関係は、ただ仲が良いという関係ではないように思います。
母親は長女を子どもとしてみるだけでなく、同性の目下の存在として見ているところがあります。
だから、長女は母親との関係に息苦しさを感じるのかもしれません。
「どうして私だけに厳しいのだろう」
「妹たちには優しいのに、同じことをしてなぜ私は叱られるのだろう」
そんな疑問を、心の奥にしまったまま大人になります。
長女は親にほめてもらいたいから、「いい子でいよう」「迷惑をかけてはいけない」と行動するようになります。
ときどき、自分の気持ちを押し込めてしまうことがあります。
いや、ときどきではなく、ずっとそう、押さえてきたのです。
長い間しまい込んできた感情は、消えてなくなるわけではありません。
心の奥でくすぶり続けます。
そしてあるとき、インナーチャイルドとして暴れ出すのです。
この記事では、母親と長女の関係が苦しくなる理由と、そこに隠れている心の仕組みについて考えてみたいと思います。
長女は「いい子」になりたくてなるわけじゃない

知り合いに、三姉妹の家族がいます。
長女はとても内気な性格でした。
両親は「この子は消極的だから、もっと積極的になってほしい」と心配していたそうです。
長女は小さい頃からしっかりした子で、家の手伝いもよくする「いい子」だといいます。
一方で、妹たちは親に甘えるのが上手で、お手伝いをすることもなく、自由に振る舞っていました。
たぶん、長女は「長女はこうあるべき」という母親の元で、厳しく育てられたのでしょう。
親の言うことに従い、妹たちの面倒を見て、家のことも手伝う。
そんなふうにして、長女は「しっかり者」「いい子」と言われながら育っていきます。
けれど「いい子」になるにつれて、自分の気持ちを表すことを止めていったのかもしれません。
何か言っても聞いてもらえない、ただ親の言うことを聞いてその通りにすればいい。
それが安全で安心していられると、学んだのではないでしょうか。
本当は嫌だったこと、本当は言いたかったこと、それらを口に出さないでいるうちに、長女は「自分の気持ちより周りを優先する子」になっていったのです。
母親の顔色を見て育った私

親子関係で子どもが自分の気持ちを押さえてしまうことは、特別なことではないと思います。
駄々をこねてはいけない、わがままを言ってはいけない、そう親から諭されて自分の欲求を我慢することはよくあることです。
でも、長女が不満を言うと母親は「お姉ちゃんなんだから」と言い、その欲求を遮ります。
この「お姉ちゃんだから」という言葉は、理不尽な言葉に聞こえます。
ただ、長女に生まれただけなのに …….。
私の母は、いつもイライラしていました。
まだ4、5歳の頃、話しかけただけで「何!」と怒鳴られることがありました。
その声が怖くて、私はそのあと何も言えなくなってしまいました。
一人でお使いに行っても、褒められることはありませんでした。
「これでよかったのかな」「間違っていなかったのかな」、そんな不安をいつも心の中に抱えていました。
自分のやったことが正しかったのか、間違っていたのか、それがわからないまま育つと、だんだん自分に自信が持てなくなります。
そして、母はよく「背中が痛い、痛い」と言っていました。
小学生になると、私は母の背中に湿布を貼らされました。
その「痛い、痛い」という声は、本当に嫌でした。なぜか私は責められているような気持ちになったからでした。
子どもの私は、母の不機嫌や痛みの原因が、いつも自分にあるように感じてしまっていました。
こうして私は、母の顔色を見ながら行動する子どもになっていきました。
母親が長女に厳しい理由

母親は、他のきょうだいより長女に厳しく接しているように見えるのです。
それはなぜなのでしょうか。
たぶん母自身もまた、満たされない思いを抱えて育ったからかもしれません。
小さい頃、母の母は病気で亡くなり、母は祖母に育てられたと聞いています。
父親は元気だったけれど、仕事で忙しく、きっと細やかな子育てはできなかったのでしょう。
母は親からの欲しかった優しさや安心を手にすることができず、子ども時代を過ごしたのかもしれません。
長女は、母親にとって初めての子どもです。
初めての子育ては神経質になるものです。
同性であるゆえに、母親は長女を「自分の分身」のように見てしまうことがあります。
「私はこう生きてきたのだから、あなたもこうしなさい」と、 自分の不自由や忍耐を長女にも強いているように思うのです。
母の中にもまた、癒されないインナーチャイルドがいたのかもしれません。
けれど、子どもの私はそんなことを知るよしもありません。
ただ理不尽な毎日に、私は自分の気持ちを押しころし、さまざまな思いを心の奥にしまい込むしかなかったのです。
インナーチャイルドの連鎖

母は、もうこの世にはいません。
晩年、入院していたときのことです。
もう自分でスプーンを持つことができなくなってきたので、私は朝食と夕食の時間に病室へ通っていました。
そんな朝、母はドアから入ってきた私の顔を見ると、にっこり笑い弱々しい声で「おはよう」と言いました。
そのとき私は、ふと思いました。
「この人が私を見て笑った顔を、初めて見た気がする」
子どもは誰でも、親に愛されたいと願うものです。
それはとても自然な気持ちです。
でも、子どもが十分に愛されたと感じられない親子関係もあります。
親もまた、一人の人間だからです。
完璧ではなく、ときには自分の子どもを傷つけてしまうこともあります。
親の中に傷ついたインナーチャイルドがいれば、その影響は次の世代にも及びます。
けれど、その連鎖を止めることができるのも、また自分です。
今なら、自分の中に取り残された小さな子どもに声をかけることができます。
もしあなたの中にインナーチャイルドがいるのなら、その子の話を静かに聞いてあげてください。
そして、こう言ってあげてください。
「もう、大丈夫だよ」と。
まとめ:母親と長女の関係から見えること
・長女は「お姉ちゃんだから」と、親の仕事を担わされることがある
・母親は長女を自分の分身のように見てしまうことがある
・母親自身も満たされない子ども時代を抱えていることがある
・子ども時代の心の傷はインナーチャイルドとして残ることがある
・インナーチャイルドの連鎖に気づいたとき、自分の心を癒すことができる
長女は、ただ他のきょうだいより先に生まれたというだけで、親から「小さい親」の役割を担わされることがあります。
「私は先に生まれるのを望んだわけではないのに」
そんな、どこにもぶつけようのない怒りを抱えることがあります。
親子の関係は簡単に変えられるものではありません。
けれど、自分の満たされない心を見つめることから、新しい一歩が始まるのかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。