感性に従う行動:松尾芭蕉「おくのほそ道」 ~漂白の思いといざない

「おくのほそ道」にみる「漂白の思い」と「いざない」

今の季節、3月の下旬に入りだんだん暖かくなってきました。

空気の感触が違います。

冬の冷たい空気ではなく、春の暖かいゆるんだ空気になってきて、やさしい春風が吹いてきます。

風に誘われるという感覚が何となくわかるような季節です。

春風に乗ってどこか行きたくなるし、行けそうな気持ちになります。

おくのほそ道 現代語訳付 松尾芭蕉 上妻純一郎訳 Kindle版の始めに次の文章があります。

「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂白の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関超えんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取る物手につかず、」

(現代語訳)

「私もまたいつの頃だろうか、空を行く千切れ雲に吹く風に誘われて、旅への思いがやまず、海浜をさすらったりする。昨年の秋のこと、隅田川のほとりのみすぼらしい小家の蜘蛛の古巣を払ったりしているうちに年も暮れたが、正月を迎え、春の霞の空を見ると、白河の関を越えようという思いがそぞろ神(浮かれ歩く神という意味の芭蕉の造語)が身辺にとりついたように心を浮き立たせ、道祖神(旅路での悪霊を払ってくれる神)の旅へのいざないにとるものも手に付かない有りさまで、」

芭蕉の漂白の思いはやまず道祖神の旅へのいざないに従い、弥生3月27日に旅立つのです。

時期は新暦でいうと3月の末からの5月の初旬のようです。

未知の世界に出て行きたいという思いが強いというのは、それだけ松尾芭蕉の創作のエネルギーが強いということでしょう。

きっと感性を刺激するものに出会えるであろうという予感があったのでしょう。

心に従って、旅立つことになります。

新しいことに踏み出せないのは

私たちは何か新しいことを始めようとするとき、なかなか実行に移せないことがあります。

何か面白そうで出来たら楽しいだろうと思って、やろうとします。

できそうな気がするからやってみたいと思うわけです。

しかし、やろうと思っているのに、なかなか行動に移せないことがあります。

そういう時は無意識が抵抗していると考えたほうがいいようです。


無意識は「今まででいいじゃない。違うことをしなくてもいいじゃない。」とささやきます。

私たちは安全であることが一番です。

わかっていることや知っていること以外のところには行きたくないのです。

生命を長らえるためには今まで通り安全であることが一番なのですから、変化を嫌います。

無意識の領域では今までと同じ状態を維持しようとします。

反対に、意識では、新しいことややったことのないことに挑戦しようと考えます。

しかし、無意識が意識で考えた行動を取らないようにブレーキをかけたりします。

やりたくてもやれない状態が続くのであれば、無意識が挑戦を止めるために私をコントロールしようとしているのだなと思ったほうがよさそうです。


「行動したい自分」と「それを止める自分」がいるということになります。

意識も無意識もどちらも私の事を思っていてくれる存在であることには違いないのです。

感覚を大事に

松尾芭蕉は「漂白の思い」や「道祖神のまねき」に心誘われて、行動したのです。

自分の感性に基づいていざなわれるように、創作の旅に出ました。

芭蕉は感性の鋭い巨匠ですから、心のままに従うことが新しいものを創ることにつながるとわかっていたのでしょう。

感覚を大事にすること、心に正直になることが大切と言われているような気がします。

心が欲する方向に行動することで有形無形のものを手に入れられのではないかと想像します。

魅力的なもの、惹かれるもの、楽しそうなもの、心躍るものなど、感情や感覚に従って行動して行くとどんどんエネルギーが上がっていきます。

理性で行動を判断することは大事ですが、失敗を恐れず心に従って行動してみると面白い結果が得られるかもしれません。

そして、次の段階に達したら、別なワクワクするものが登場するかもしれません。

またそれをやってみる、そうしていくと心地よいポジティブな状態へあなたのステージが上がっていくでしょう。


おくのほそ道 現代語訳付

お読み頂きありがとうございました。

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