他人を批判する心理
「何であの人はああなんだろう。」、「こんなことにどうしてこだわるのだろう。」とか、イライラして他人を批判することがあります。
他人の欠点が見えるたびに何か言いたくなり、ブツブツとつぶやいたりします。
人の悪口や批判をしてはいけないとわかっていますが、悪口を言っている時は溜飲が下がるという感覚にもなります。
ストレスを発散した感じになるし、嫌な相手であればなおさら言いたくなります。
その場にいない人の悪口を言って盛り上がったりしますが、話が終わってしまうと何かスカッとはしません。
悪口を言ったり、批判してもそれで何かが変わったかというとそういうわけでもなく…。
何も変わらず、ネガティブ感情が残るだけのようです。
なぜ、私たちは他人を批判するのでしょうか。
批判することがクセになっているのかもしれません。
自分の考えで他人を裁いています。
人は皆、自分の考えは正しいと思っています。
自分の考えと異なる意見を言う人や振舞いをする人に対して違和感を抱き、それが批判することにつながります。
批判をしている時の自分は、欠乏感を抱いています。
相手に対して批判的に苦言を言うときは、現状に不満がある場合が多いです。
何か満たされない、足りないという意識を持っています。
他人の悪口を言ったり、批判することで、うっぷんをはらしているところがあります。
批判することによって、他人を攻撃しています。
他人を批判して攻撃するエネルギーの元は、自分の欠乏感や不足感です。
批判の心は表面に表れる
心の中で他人に不満を持っていたり、嫌っていたりすると自分ではうまくカモフラージュできていると思っているかもしれませんが、無意識にその嫌う心が表面に現れてきます。
相手を嫌う感情が無意識に自分の言葉や話し方、行為に現れるのです。
表情とか視線とか口調とかに、気づかないけど出ているのです。
ですから、批判ばかりしていると人相が悪くなると言います。
そう言われれば…、と気づかれる事があるのではないでしょうか。
他人を批判することは自分を批判すること
他人の悪口を言ったり批判しているときは、その言葉を全部自分の耳が聞いています。
批判的な内容が、己の心に入ってきます。
自分が発するネガティブな発言が潜在意識に入り込んでいきます。
潜在意識には主語はありませんので、他人に向けられた言葉でも、自分のこととして受け止めるのです。
ですから、他人を批判することは自分を批判していることと一緒なのです。
他人を批判して裁いているけれど、自分も同時に裁いているという状態になっています。
そして、潜在意識は善悪を判断しませんし、議論もしません。
自分の発した言葉がそのまま潜在意識に入ります。
他人の悪口や批判はすべて自分のことと受け止めて、批判されたとおりの自分を実現することになります。
私は正しい、また他人も正しいと思う心
先ほども書きましたが、人はみな自分の考えが正しいと思っています。
思い込んでいると言ったほうがいいかもしれません。
他人と自分の考えが同じとは限りませんし、対立することもあるでしょう。
自分の主張が正しいと言い張りますが、他人も同じように自分が正しいと主張してくるでしょう。
言ってみれば、正義が多数存在するということになります。
自分のものさしで他人を計り「短いとか長い。」とか「足りないとか多すぎる。」と批評や批判をします。
極端な話し、10人いたら10の正義があるということになります。
ここで、その多数の正義を「正しい」、「間違いだ」と裁き判断を下すことに意味があるのでしょうか。
自分の考えが絶対正しいとは言えないし、他人がすべて正しい、あるいは間違っているとも言えないわけです。
法律で定められていること意外は、そもそも他人を自分の考えと違うというだけで批判しても意味が無いような気がします。
他人の嫌なところはその人の個性であると受け止めれば、相手の嫌なところにフォーカスして批判しようとは思わないでしょう。
相手と仲良くならなければいけないということではなく、「苦手だな」と距離を取ればいいだけということになります。
私は私の考えや思いが正しいと思っているけど、他人もその人の考え方や感情があり、それを尊重すると思えば良いのではないでしょうか。
批判されたときの対処法
立場を変えて自分が悪口を言われたり批判されたりしたら、どうすればいいでしょう。
批判されたら怒りの感情を起こし、その人に反論したり無視するというようなネガティブな反応をしがちです。
しかし、悪口や批判を受け取ったら、それに対してニュートラルな立場でいることが大事です。
ネガティブな情報を鵜呑みにすることなく心を落ち着かせて対応すると決めるのです。
それは「その人の批判に自分は同意しない。」ということです。
他人が自分を批判している言葉に、私自身が「そうだと思わない」と心の中で言うのです。
他人の批判を受け取らない自分でいることです。
また、他人が自分の悪口を言うのをやめさせようと思ってもできない話です。
他人の行動を思うようにすることなどできません。
その嫌な相手に執着しないことです。
相手に対してネガティブなことを考えれば考えるほど、相手にエネルギーを与えていることになります。
嫌な相手や嫌なことには意識を向けないことです。
大事なことは、「私は批判されるような人間ではない。」と思うことです。
「あなたが言うような私ではない。」という意識でいるのです。
他人からの批判が苦しいのは、自分の中にその人と同じ考えを持っていて、自分を責めてしまうから苦しいのです。
相手が自分を批判する考えに自分が同意すると、他人と自分が一緒になって、自分自身を批判している状態になってしまいます。
他人が罵詈雑言を浴びせたとしても、それを自分が受け取らなかったら動揺することはありません。
「私はそういう罵詈雑言に値する人間ではない。」と思っていれば、何もいらだつこともないし苦しむこともないのです。
難しいと思われるでしょうか?
他人の言動で苦しむときは、自分がその他人の言動を受け入れたとき、すなわち他人の考えに同意したときです。
ネガティブな相手の言葉を受け入れなければいいのです。
受け取らないと決めるのです。
ニュートラルな心を保つ
人は注意していないと恐れとか不安というようなネガティブな感情に流されていきます。
否定的な言葉や消極的な言葉に耳を傾けないことです。
ネガティブな感情に襲われそうになったら、視点を変えてみることです。
否定的な状態に陥ったら、どうしてそうなったか原因を考えてしまいます。
しかし、そういうことをするとますますそのネガティブ感情が強まってしまうのでよくありません。
感情を変えるということにフォーカスすることが大事です。
心地良いことを選ぶと決めるのです。
幸せを感じられるものに目を向けることが大切です。
幸福は習慣だといわれます。
例えば朝起きたとき、「私は今日一日幸福を選びます。」と唱えると脳は幸福なことを探します。
批判は欠乏の心から来ています。
批判するクセを直すには、意識の向け方に注意を払うということが大事になります。
足りないことに目を向けるのではなく、足りていることに意識を向けるのです。
批判するとまた批判することを探し出します。
批判は欠乏や不足感から来るものですから、批判することにエネルギーを注ぐと批判したくなり、批判することが目的となってしまいます。
批判は批判を生み、欠乏感を感じ続けることになります。
自分を満たしてくれるもの、エネルギーを与えてくれるものに意識を向けることが大事です。
「良いことを思う。」と決めることが幸せに通じる道です。
批判するクセがあるとしたら、心の中をきれいなもので満たすイメージを持って、先ほど書きましたように在るものに目を向けるという、心をニュートラルにする練習をなさったらどうでしょう。
お読み頂きありがとうございました。