「どうせ私は~だから」「自分はできそこないのダメ人間」とか言います。また、自分のことを「欠陥品」とか言う人がいます。
自虐的な言葉を使います。
人は劣等感を持つことはあります。
それはわかりますが、自分に対して自虐的な言葉を使うのは聞いていて気分のよいものではありません。
自虐的な人は、本当は「こうなりたい」という願望はあるのです。
でも「ダメな自分では無理だ」と諦めようとしています。
しかし、本音のところでは諦めきれないのです。
人間であれば、自分を諦めることなんてできません。
自虐的な人は、待ちの姿勢に見えます。
なりたいものはあるのです。手に入れたいものもはっきりしているのです。
しかし、自信がないし周りを気にして本音が言えないのです。
手に入れたいものがあるなら、なりたいものがあるのなら、やり方を学んで行動すべきなのです。
自虐的なことを言う人の心理
自虐的な人は、自分の欠点を自ら先に言います。
他人から指摘されるのが嫌なのでしょう。
もう自覚しているから、言わないでというアピールなのです。
これ以上傷つきたくないから、自分から欠点を他人に言っているのです。
充分自分は自分の欠点は分かっているから、攻撃しないでと自分を守っています。
すべての人が、自虐的な人を非難したり攻撃したりするわけではありません。
なのに、過剰に自分を防御します。
自虐的な言葉を使うことは、自分で自分を攻撃していることになります。
他人が攻撃してくるのならまだしも、なぜ、自分を攻撃するのでしょう。
自分をなぜ大切にしないのでしょうか。
自己肯定感が低いからでしょう。
自分をおとしめても自己肯定感は上がりません。
自分を大切にするべきです。
自虐的な人は、回りが変わってくれるのを待っているように見えます。
いつかよくなったらいいなと思っている。でも、よくならないだろうなとも思っている。けど、半分期待しているような…。
何もしないでじっとしている状態です。
待っていても周りは変わりません。
自分も変わりません。
自分を受け容れる
若い人は容姿端麗で頭がよくスポーツもできて、性格もいい人でありたいと願います。
そういう願望とはうらはらに、それぞれ自分の気に入らないところがあります。
そういう自分の嫌いなところを認めることが大切なのではないでしょうか。
自分の嫌なところやダメなところも自分なのですから。
自分を受け容れることが大切です。
受け容れるというのは、好きになるということではありません。
事実を受け容れるということです。
自分の嫌なところをそのまま事実として存在を認めて、向き合うということです。
そして嫌なところも自分の一部であると捉えることです。
過去から繰り返し起こしてしまう自分の嫌な行動、自虐的な言動、異性に対しての思いやりのない行動、そんな行動を繰り返しているとしたら。
その過去の行動をなかったものとしていては、また将来繰り返してしまうことになります。
自分に解決すべき問題があると捉えてそれに向き合うことがスタートだと思います。
自分の嫌なところを認識する…。
抵抗があるでしょう。
自虐的な人は認めているようで認めていないのかもしれません。
その嫌なところも全部含めて自分なのだと、自分を肯定することです。
人はありのままの自分を受け容れること、今ある自分の姿を事実として尊重するという思いが自分を変えるためには必要です。
学んで行動する
例えば恋愛を成就したいと思っています。
しかし、こんな「もてない自分」では一生無理だと思っています。
自虐的な言葉で自分は出来ない、ダメ人間とアピールします。
でも本音は複雑です。このままでは嫌だと思っています。
恋愛を謳歌したいという願望があります。
現実は自信がないから不安であり、自分にいらだっています。
そうであるならば、素直に自分の本音に従えばいいのです。
その方法として、よく分からないことは学ぶのです。
「もてたい」としたら、恋愛について学ぶのです。
男女の恋愛心理について学ぶわけです。
もてるための言動やアピールの仕方。好ましいルックス。ブサイクでも見せ方によって全然違って見えます。
学んでそれを実践する。そして、改善する。その繰り返しでやっていけばいいのではないでしょうか。
上手くいくまでやり続けるのです。
自虐的な人も、なりたい自分があるはずです。
何もせずに待っていても事態は変わりません。
なりたい方向へ向かって行動を起こしていく。そうするうちに意欲が出てきて、気持ちが変わってきます。
自虐的なことを言わなくなると思います。
わからないことややったことのないものに対して恐怖心を持ちます。
しかし、わからないことを紐解いて一つ一つ行動していったら何か見えてくるはずです。
待っているだけでは何も変わりません。
学んで行動するのです。
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