怒りからうらみへ
怒りの感情が湧き上がると、エネルギーが消耗されるような感覚になったことはないでしょうか。
相手に対して考え始めると、どんどん怒りがわいてくるという経験があるのではないでしょうか。
怒りの相手は、親、配偶者、兄弟姉妹、友人、教師…というような身近な人たちが多いように思います。
怒りの根底にあるものは、癒されない傷ついた私の思いです。
自分の大切な価値観が踏みにじられたという悔しさが残っています。
怒る心をずっと持っていると苦しくなってきます。
そうするうちに、怒りの感情に伴ってうらみが出てきます。
うらむ心というのはずっと心に巣くっているような執拗な感情です。
うらむ気持ちが続くとだんだんと陰うつになり、さらに心と身体の健康を害してしまうことにもなります。
うらむ心を失くすには、「許すこと」が必要だといわれます。
しかし、頭では理解できますが、簡単に許せそうもありません。
何年も「あんなひどいことを言われた」「むごい仕打ちを受けた」と、怒りが収まらない状態です。
執念深いと言われても、怒りの炎がまだまだ消えないのです。
ですから、簡単には怒りを手放すことはできないと思うかもしれません。
怒りやうらむ心を手放す
怒りを鎮めるには「許す」しかありません。
内観して、報われなかった思いを考えてみます。
過去のことを何度も繰り返し考えると、「与えられなかった」という欠乏感と怒りがどんどん大きくなっていくのではないでしょうか。
過去には戻れないとわかっていても、心の中でうらむ相手に何度も同じことを要求している姿が思い浮かびます。
うらみは相手への執着を表しています。
うらむ心をもっていては苦しさがずっと続きます。
怒りとうらみを持っていては、苦しみから解放されないということも分かってきたのではないでしょうか。
そのためには、うらむ心をなくさなければなりません。
怒りを沈める質問
怒りは自分の思いが叶えられなかったという無念さや、思いを踏みにじられたという悔しさから来ています。
怒る自分を客観的に見るために、内観し自問してみます。
「私は相手のことを誤解しているかもしれない。それに相手はそのつもりはなかったかもしれない。そう思えないだろうか?」
「冷静に振り返ることが必要ではないだろうか?」
「私の考えが絶対とは限らない。相手にも相手の考えがあるのだろうと考えてみてはどうだろう?」
「私が知らない事情を抱えていたのかもしれない。」
「相手と話し合って、自分が大切に思っていることを相手にも尊重してもらいたいとお願いができたかもしれない。それを私はしただろうか?」
「許します」のアファメーション
言葉に出して「許します」と何度か唱えてみます。
そうしていくと、「許す」という言葉が心の中に入っていく感覚があります。
何日も言ってるうちに、気持ちが唱える前より軽くなった感覚を覚えるでしょう。
「許す」というのは、相手の言動が正しいと認めるということではありません。
また、相手を好きになりなさいといってるわけでもありません。嫌いだったら嫌いのままでいいのです。
「許す」というのは、相手に執着している自分の思いをゆるめるということです。
相手のために許すのではなく、自分のために許すということです。
相手が私を苦しめていたのではなく、自分で自分を苦しめていたことに気づくと、苦しみから解放されていくでしょう。
お読み頂きありがとうございました。