相手に執着する心
怒りの感情が湧き上がるとき、エネルギーが消耗されるような感覚がありました。
考え始めるとどんどん怒りがわいてきて、燃え尽きることのない感情にとらわれます。
怒りの対象は、親、配偶者、兄弟姉妹、友人、教師…。
怒りの根底にあるものは、癒されない傷ついた自分の思いです。
自分の大切な価値観が踏みにじられたという悔しさが残っています。
恨む心をずっと持っていると苦しくなってきます。
たびたび怒りの感情を伴って恨みが出てきます。
恨む心を失くすには、「許すこと」が大切だといわれます。
しかし、頭では理解できますが、簡単に許せそうもありません。
何年も怒りがまだ燃えているのです。
執念深いと言われても、怒りの炎がまだまだ消えないのです。
ですから、怒りを手放すことは難しいものでした。

自分を内観する
でも、怒りを鎮めるには「許す」しかありません。
心の中を見つめて、報われなかった思いを確認しました。
怒る自分は、「ないもの」を求めていました。
過去のことを何度も考え続けていました。
過去には戻れないとわかっていても、同じ光景が頭の中に浮かんできます。
心の中で、同じことを何度も相手に言っています。
過ぎ去ったことを考えてもしようがなく、過去に戻れるわけでもありません。
許さないと苦しみから出られないとだんだんわかってきました。
そのためには、自分が変わると決断するしかありませんでした。

自分にする質問
心を静める方法をいくつか試しました。
何度も自問しました。
怒りは自分の思いが叶えられなかったという無念さや踏みにじられたという悔しさから来ます。
内観し、自問することで自分を冷静に分析してみます。
そうできたら、怒る自分を客観的に見ることができます。
・私は相手のことを誤解しているかもしれない。それに相手はそのつもりはなかったかもしれない。そう思えないだろうか?
冷静に振り返ることが必要なのではないか?
・自分の基準が絶対とは限らない。相手にも相手の考えがあるのだろうと考えてみてはどうだろう?
私が知らない事情を抱えていたのかもしれないと考えてみる。
・相手と話し合って、自分が大切に思っていることを相手にも尊重してもらいたいとお願いする事もできたはず。
それを私はしただろうか?
「許します」のアファメーション
言葉に出して「許します」と何度か唱えてみます。
そうしていくと、「許す」という言葉が心の中に入っていく感覚があります。
何日も言ってるうちに、気持ちが唱える前より軽くなった感覚になってきます。
「許す」というのは、相手の言動が正しいと認めるということではありません。
また、相手を好きになりなさいといってるわけでもありません。嫌いだったら嫌いのままでいいのです。
「許す」というのは、相手に執着している自分の思いを緩めるということです。
相手が私を苦しめていたのではなく、自分で自分を苦しめていたことに気づくことが、苦しみから解放されることにつながりました。
お読み頂きありがとうございました。