「どうせ、私なんか…」と言う人の心理~自分で自分を認めてあげること

やったけど、ものごとが上手くいかない場合があります。

失敗した時に、周りの人に「どうせ、私なんか…」と言ってしまうことがあります。

「どうせ、私なんか」という言葉は、半分投げやりな半分開き直った感があります。

仕事でミスしたら、「私に仕事を任せた人が悪い。私は能力ないんだから期待しないで。」と相手に責任があるかのように心の中で反論しています。

上手くいかなかったことややるべきことを放り出す言い訳にしているようにも聞こえます。

「私は所詮この程度の何の取り得もないダメ人間なんだから、私に任せたのが間違いなのよ。」という逃げる姿勢があります。

「私なんか~」と言う言葉は一見へりくだったように聞こえます。

周りの人に「どうせ、私なんか…」と言うと、やさしい人は「だいじょうぶよ、〇〇ちゃん。次はできるから」と励ましてくれるでしょう。

なぐさめてやさしくしてくれるという、自分の期待した通りの反応を周りはしてくれるかもしれません。

本人には「私はまだ半人前だから、大目に見て」と言う気持ちがあるように見えます。

「私は弱い小さな人間なんだから、上手くできないのは当たり前なの。だから言ったでしょう。私に期待しないで。」と言っているようにも聞こえます。

言い訳を考え、防衛線を張っているようです。

「どうせ、私なんか」は自分を否定している心

「どうせ、私なんか」と言うときは、自分を否定しています。

結果に対して向き合いたくない、責任を取りたくないときに出る言葉ではないでしょうか。

しかし、失敗の言い訳をして責任を取らないでいつづけますか?と思うのです。

ネガティブな状況に陥ってしまったら、いつも「私なんか…」と言ってそこに止まるのでしょうか。

何もしないでじっとしているのでしょうか。

結果は私には関係ないという態度でいられるでしょうか。

出来事に意味を与えるのは自分の考え方や信念、価値観です。

出来事に意味を与えるのは、自分なのです。

何をどう信じているのかが大事です。

うまくいっているときは「どうせ私なんか」とは言わないでしょう。

上手くいかないことが起こったら、失敗や不運な状況に陥ってしまったらそのネガティブな出来事をいつも「どうせ、私なんか~」と言い続けるのでしょうか。

いつも「運が悪かった、私のせいじゃない、私を責めないで。」と言うのでしょうか。

「私は能力ないから解決できないよ。」と言い訳をするのでしょうか。

自分を下げなくても愛されている

「自分を愛しなさい。自分を愛せない人は他人を愛せない。」と言われます。

自分を否定している人を他人は肯定してくれるでしょうか?


「かわいそうな人ね」と他人から思われたいのでしょうか?

自分自身を認めることです。

自分の足りないところを見るのではなく、いいところを見ることです。

「私は私でいい」と覚悟を決める、「私はこのままで価値がある」「私は自分を下げなくても愛される」と思うことです。

自分を否定するか肯定するか、それば自分で選ぶことができます。

自分はできると思うからやろうと思ったし、周りはやれると思うから任せたということではないでしょうか。

自己否定の考えはメンタルを弱らせ行動力を奪います。

自己否定の考えは自分が成長できない足かせとなるものです。


成長させる新しい思考を選択し直すことはいつでもできるのです。

不運な出来事に対して「この出来事は私に何を教えようとしているのだろうか?」と考えることができます。

「どうせ、私なんか」と言うネガティブな言葉を手放し、自分を認めて勇気を与えてくれる言葉を使ってみてはどうでしょうか。

そうすれば自分のことに責任を持つようになります。

自分のやったことをフィードバックできます。

何がよかったのか、いけなかったのか見直して改善しようとします。

自分に責任を持つということは、主体的になるということです。

自分自身を認めていない人を他人は認めてくれるでしょうか。

私たちは他人からの承認を求めてしまいますが、まず、自分が自分を認めることが大事です。

あなたは、自分を下げなくても「完璧」であると信じることです。

お読み頂きありがとうございました。

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