うまくいかないのは他人のせい?
上手くいってない状態が続くとどうやっていいか、わからなくなります。
失敗や障害によって自分の弱点に気づくことがあります。
学校で生徒指導が上手くいかず、イライラしている教師がいました。
自分が生徒だった頃は教師の言うことには従っていた、今の生徒は勝手過ぎると思います。
生徒時代、教わった教師の指導法を真似て指導します。
しかし、上手くいきません。
ますます意固地になって、今までのやり方で生徒を押し付けてやろうとします。
やはり、うまくいきません。
その教師には、教師の言うことは絶対で生徒は黙って従うものという考えがあります。
結局、生徒が悪いから、上手くいかないという結論を出してしまいました。
しかし、生徒が悪いといってしまっては何の解決にもなりません。
ものごとがうまくいかないのは、相手のせいというのでは、自分の行動をかえりみることなどできません。
反省して学ぶことは不可能です。
他人のせいといってしまっては、他人が変わることを待つしか問題を解決できなくなります。
人間は、他人を変えることはできません。
できるのは自分を変えることだけです。
自分のやり方を変える、行動を変えるしかありません。
うまくいってないとしたら、自分の思う結果が出ていないとしたら、どこか改善するところがあるわけです。
起こっていることを分析し、対策を考え直さなくてはなりません。
自分を客観的に見ることが大切です。
仕事で上手くいかなかったら、相手やものごとを責めても何の解決にもならないわけです。
自分が行動して変えていかない限り、思う結果は得られないからです。
自分をかえりみる
自分の考え方に疑いを持つことが必要ではないでしょうか。
自分の考えが間違っているのではないかと疑ってみます。
しかし、人間は自分が信じていることが正しいと思う生き物ですから、自分の考えを疑うというのは難しいかもしれません。
そこで、どうやったら問題を解決できるかという視点に立ったら、上手くいかないということは、自分の弱いところが出てしまっていることと同じだと考えてみてはどうでしょう。
内心にガンコな価値観があって、それが状況をまずくしていると考えたらどうでしょうか。
エゴといってもいいかもしれません。
得意なことは簡単にできます。
自分の弱点を受け入れることが、問題解決の始まりだといえるのではないでしょうか。
弱点を認める勇気
もっと、事態が悪くなって無力感に襲われることがあります。
他人との関わりを絶って、自分の殻に閉じこもる人がいます。
周りの状況を恨んで、上手くいかない自分を責めることがあります。
自分を責めるということと自分の弱い部分を認めるということは、違う気がします。
私たちは、自分の弱点を認めたくない気持ちがあります。
自分の弱さを認めることには、勇気がいります。
自分の弱さを認めるには、自分を見つめる冷静な目が必要です。
逆境に陥っている自分に必要なアドバイスや知恵をくれる人がいるのではないですか。
身近な人が意見をしてくれることもあるでしょう。
しかし、無気力に陥った人は、閉じこもっているので他者とかかわろうとしません。
壁を作っていては周りの人たちの言葉が入ってきません。
自分には弱いところなどないと思っていれば、聞く耳がありません。
しかし、自分の弱点を認めたら、素直に周りの意見が入ってきます。
勇気を持って自分の心を開いたら、外からの言葉が入ってくるのです。
謙虚な姿勢で他の人の言葉を聴くことができるのではないでしょうか。
自分が持っていない、新しい価値観はどんな人からもやってくる可能性があります。
誰もが、他の人にはない知識を持っています。
誰も二人として同じ過去を持つ人はいないからです。
すべての人が様々な知恵を持っています。
立場を変えて考えれば、自分も他人へ知識を与えられる立場になりえます。
自分の弱さを受け入れることは、失敗もする「自分」を受けいれることになります。
それには勇気が必要です。
勇気は強者の資質です。
「失敗する自分」を受け入れることができたら、弱さを知っているからこそ、他人への思いやりも持てるのではないですか。
自分が痛みを味わった分だけ、人にやさしくなれるということに通じるのではないでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。