うわさ話に要注意:波動を下げないために~「見ざる、聞かざる、言わざる」

うわさ話に要注意

職場でうわさ話が好きな人がいます。

「〇〇課の△△さんは愛想よくしてるけど、□□さんをシカトしているんだって。」と、上げて落とすような話が多いです。

話のはじめは、ターゲットになったその人をほめるのですが、最後はネガティブなマイナス評価になり、悪口になっていることがほとんどです。

うわさ話は集団の中には付き物のように思えます。

うわさ話は、一般的にうわさ話の対象をほめるというよりも悪口を言う場合が多いでしょう。

悪口を言う人の心理を考えると、うらやましいと思う人や自分よりも上にいると思う人を下げて、結果、自分を上げるような感覚になっているのではないでしょうか。

うわさ話が好きな人は、心の中に満たされないものがあるのではないかと思うことがあります。

他人の悪口を言ったり聞いたりしていると、気持ちが攻撃的になり心が汚れてきます。

新約聖書の中にこういう言葉があります。

「すべて善い木は善い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。善い木は悪い実を結ぶことができず、悪い木は善い実を結ぶことができない。」(マタイによる福音書:7-17,18)

行いの良い人は良い心の持ち主であり、意地悪な人は良くない心の持ち主であると言えるでしょう。

類は友を呼ぶ

「心は、それ自身が抱いているものを引き寄せます。」……

「気高い思いばかりをめぐらしている人が、邪悪な道に落ち、苦悩する、などということはけっして起こりません。同様に、邪悪な思いばかりをめぐらしている人が、気高い目標を達成して真の幸せを感じる、などということも絶対に起こりません。」……

「良い思いや行いは、けっして悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いは、けっして良い結果を発生させません。」

「敵意に満ちた意地悪な思いは、つねに他人を非難する生き方として、つづいて、不安と恐怖に満ちた環境として姿をあらわします。」

(以上、ジェームズ・アレンの言葉)

うわさ話や悪口を言う心は、良い思いから来るものとはいえないでしょう。

うわさ話をすると、ターゲットになった相手の評価を下げることになり、自分の劣等感を一時的に満足させることができるかもしれません。

しかし、うわさ話で一時的に優越感に浸ったとしても、また、劣等感は現れてきます。

満たされない心は、うわさ話や悪口を言うことでますます大きくなり、欠乏感はなくなりません。

うわさ話で時間をつぶしたり、悪口を言っていると、運から遠ざかるのではないでしょうか。

この世界では、自分の環境は自分が作っているといわれます。

先ほどのジェームズ・アレンの言葉の続きとなりますが。(「原因」と「結果」の法則 より)

「私たちは、自分が望んでいるものではなく、自分と同種のものを引き寄せます。」……

「いっぽう、気高い思いは、自省の利いた穏やかな生き方として、つづいて平和にあふれた静かな環境として姿をあらわします。

清らかな思いは、そのすべてが自愛と思いやりに満ちた生き方として、つづいて明るい快適な環境として姿をあらわします。……

あなたの環境は、あなた自身の心を映す万華鏡です。」

自分の環境を心地よいもの幸せなものとするには、己の心を他人のうわさ話や悪口で、汚してはいけないわけです。

うわさ話をされたら、「ふう~ん。そう。」と答えるだけに止め、そっとその場からフェイドアウトしたほうがよさそうです。

類は友を呼ぶというように、同じ波動の人が共鳴しあうといいますから、低い波動ではなく高く強い波動の人と交流したいものです。

幸せから遠ざからないように、うわさ話から遠ざかることがよいようです。


「原因」と「結果」の法則

お読み頂きありがとうございました。

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