嫌な人が気にならなくなる捉え方:嫌な相手は自分のエゴを見せてくれる人

嫌な相手は自分の鏡

イヤな人が職場にいる場合、仕事上話をしなければならないと思うだけで、憂うつな気分になります。

仕事だから関わらないといけないとわかっているけど、できたら関わりたくないと強く思います。

そういう人物をどう捉えるかについて考えてみます。

他人は、自分の鏡だといわれます。

嫌いな人は、自分の嫌なところを見せてくれるからです。

その人が持っている嫌なところは、自分が持っているイヤな部分なのです。

嫌な部分というのは、自分のこだわり、エゴです。

こちらが嫌いだと思っていると、相手もこちらを嫌っています。

対立することが多く、報復なのか相手がマウントをとってきたりして、ネガティブな気分に陥ることが多くなります。

でも、相手の意地悪な言動に挑発されて、こちらも同じような品のない言動を取ってはいけません。

同じ土俵に上がらないことが大事です。

相手と同じレベルになってしまいますから、不毛な競争をしないことが大切です。

エゴが成長を止める

相手の言動が嫌だと思うのは、私が「いやだ」とジャッジしているからです。

「私の価値観」を通して相手を見ると、私の考えと違い好感が持てないので、否定的な判断を下しています。

私の価値観に合わないから評価できないし、意見を変えない嫌な人という結論に達しているわけです。

私の価値観は、「私のエゴ」のことがあります。

エゴ、我ともいいますが、「私が正しい」という思いです。

対立している場合、私が正しく相手が間違っていると思っています。

どちらもそう思っていますから、相手がいやになるのです。

私たちは年齢を重ねてきて、経験を積み、子供のときよりも多少の知恵が付いてきています。

自分の経験に自信を持っているので、自分の判断は正しいのだと確信しています。

しかし、あまり自分の価値観を過信することは、エゴが強くなることでもあります。

一般的に、老人はガンコだといわれます。

それは長年生きてきて、経験上自分の考えが絶対だと思っているからです。

人間は進化する存在です。

身体は若い時期がピークですが、だんだん年齢とともに衰えていきます。

しかし、魂は進化するものであり、いくつになっても学ぶことがあります。

魂が成長するには、心の器が大きくならなくてはなりません。

「私が、私が」という心はエゴであり、エゴが心を占めると自分の心の枠が固まってしまいます。

イメージしてみてください。

伸張する枠があったとすると、その枠をセメントで固めた様子を。

固めた枠は、堅くなっており、もうそれ以上伸ばすことができません。

同じように私たちの心の器がエゴで固められていると、心の枠を広げることができません。

エゴは「私が正しい」、「私が絶対」という心ですから、外部からの意見や考えを受け入れません。

エゴは「自分が正しい」のだから、他の人が自分に従うべきだと思っているわけです。

自分の思考や思いが絶対であり、その思いは動きません。

私は絶対だと確信していますから、今の状態は動きようもなく、変化や進化が生じなくなっていきます。

心が固まってしまっては、成長のしようがありません。

相手との対立は、どちらも「自分が正しい」と主張するエゴとエゴとの対立です。

エゴで心が覆われていると、外界からの知恵や気づきを得ることができなくなるので、魂の成長が難しくなります。

エゴをゆるめる

人間は成長するものです。

しかし、エゴは成長を止めるものです。

私たちは、エゴに支配されたままでいいのでしょうか。

「自分が正しい」と思っていることを考えてみると、相手が正しかったりするかもしれませんし、どちらも正しいのかもしれません。

また、どちらでもいいことなのかもしれません。

自分が正しいと思っていることは、執着です。

こだわりは、エゴから来るものです。

こだわっていることで、心の成長のチャンスを逃しているとしたら、それは損なことではないでしょうか。

「私が正しい」と思っていること、つまりこだわりがあることで、自分の成長を妨げているとしたら、こだわり=エゴを少しずつでもなくしていくことが必要ではないでしょうか。

執着をなくして行くことは、寛容になっていくということです。

エゴがなくなり、心が穏やかになるということです。

こだわり=エゴを少なくすると、心の器が大きくなり、外界からの新しい知識や知恵が入ってきます。

気づくことで、魂が成長できます。

そう考えると、職場にいる嫌な人は「心の成長」を気づかせてくれた感謝すべき人といえるかもしれません。

直接言わなくても「ありがたい」と相手に対して思えます。

「試練は神の恵みである」という言葉があります。

順調であったら、気づかなかったことが、ネガティブな出来事で気づくことがあります。

気づくことで、「私は一つ賢くなった、生きる知恵を与えてもらった。」と思えます。

捉え方を変えると、目の前の嫌な人は、私の考え方のかたよりを教えてくれたありがたい人になります。

「気づかせてくれてありがとう」と言えるのではないでしょうか。

関連記事:嫌いな人や苦手な人を遠ざける方法:相手に感謝の言葉を贈る~自分のために

お読み頂きありがとうございました。

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