許せないのは執着しているから
「自分を尊重することが他人を尊重することの土台である」といわれます。
お互い尊重し合える関係であれば何の問題も起こらないでしょう。
しかし、今まで傷つけられたり傷つけたりという経験があります。
「私は周りから酷い目にあわされてきた。」「私は不当な扱いを受けてきた。」と思った時期もあります。
相手を恨んでいるし、復讐したい、どうやったら復讐できるかと考えたこともあります。
残念ながら、肉体的にまた精神的に相手に苦痛を与えて復讐したとしても、自分が安全でいられるとは限らないようです。
「人を呪わば穴二つ」という恐ろしいことわざの通り、自分の墓穴も掘らなければならなくなります。
相手に害を与えれば、例えそれが当然だと自分は考えていても結果的に自分も害を被ることになるようです。
相手の不幸を願うということは、毎日不幸になることを想像しているわけです。
潜在意識は、「私」「あなた」「彼」「彼女」と区別することがないのです。
潜在意識は主語を区別できませんから、不幸を願うと相手ではなく自分がその通りになってしまうかもしれないのです。
人を恨んではいけないときれいごとを言っているように聞こえるかもしれません。
道徳的に他人を恨んで復讐するのは悪いことだからやめなさいとか、理性ある人は憎しみの心を抑えているものだということでもないのです。
恨むことや復讐したいと思うことは恥ずかしいものだというつもりはないのです。
他人を恨んで許さない心を持ち復讐したいと願っていることは、自分自身を苦しみの中に留めることになります。
許さない心を手放したほうが自分のためになるから、許した方がいいということなんです。

人を恨んだり復讐を考えている時の顔を鏡に写してみてください。
恐い顔をしていて、嫌なオーラが出ています。
幸せからは程遠い形相になっています。
自分を傷つけた人を憎いと思い、自分と同じ苦しみを味あわせたいと思うのは人の常といえましょう。
傷つけられたのだから相手にも同じように苦しみを味わって欲しいと願うのは、仕方のないことかもしれません。
相手に復讐でき相手が不幸になったとしたら、満足するかもしれません。
でも、相手もやられたらやり返すということになり、逆襲を始めるかもしれません。
お互い負のループにはまってしまうことになるでしょう。
ネガティブな感情は闇を大きく深くするだけです。
一時的に溜飲を下げることがあったとしても、永続的な喜びなど得られないことを私たちは理解しています。
自分のために相手を許す
大切に扱ってくれなかったという恨みで、心がすさび、不幸を願うのかもしれません。
愛のないところで育ってきたから、自分を大切になんかできなかったかもしれません。
大切にされなかったから、自分が大切な存在とは思えないというでしょう。

しかし、恨んでいる相手を許すことです。
自分が苦しいなら、許すことです。
苦しみから解放されるために許すのです。
相手を許せない自分を許すことです。
許すというのは、相手のしたことを認めるとか相手と仲良くするということではありません。
許さないということは過去に自分を縛り付けておくことです。
縛り付けられた自分は動こうにも動けません。自由になれません。
過去を手放すことです。
許さないという価値観を手放し、自分を自由にするのです。
許せない相手に執着するのをやめるということです。
許せない相手に対する執着をやめると波動が違ってきます。今までとは違う波動になります。
そうすると相手との距離が広がるでしょう。
相手に執着することは相手に自分のエネルギーを与えることです。
自分の心の中で相手をどんどん大きくしていることになります。
エネルギーは自分の好きなことややりたいことに使うべきです。
相手を許すというのはハードルが高いとしたら、相手を許せない自分を許すと思えばいいのではないでしょうか。
相手にエネルギーを与えないと思えば抵抗がないのではないでしょうか。
恨みを抱えていることは被害者意識でいることです。
自分は被害者だと思うことは、主導権が相手にあるということです。
本来、自分の人生の主導権は自分が握っているものです。
被害者意識を持っていては自由にはなれません。
自分のために許せない心を手放すのです。
お読み頂きありがとうございました。