批判されたくないけど、批判するのがクセになっている人の心理

批判されたくない心理

批判はものごとを論理的に考えてその良し悪しを判断することです。

職場では、業務の計画を立てる場合、数字を使い批判的な思考で進めていきます。

より成果の上がる仕事をするために、批判的にものごとを見ることは大事なことだといえます。

成果をより確実にまた、リスクをより少なくするために批判的思考は必要です。

批判は良し悪しを決めることですから、良いと判断されたら評価されるという結果が付いてきます。

しかし、悪いと判断されたら指摘された悪い部分を攻撃され、どうあるべきかと追求が始まります。

批判される対象が人の発言や態度であった場合、良し悪しの判断は主観的なものにならざるを得ないでしょう。

判断する基準が批判する人の主観になるからです。

批判される身としては、好き嫌いを元に批判されたらたまらないと言いたくなるかもしれません。

こちらのミスや悪いところを批判されている場合、相手に思いやりの気持ちがあるとわかったら、アドバイスとして聞くことができます。

相手に愛がある場合は素直に批判を受け入れられます。

しかし、批判のための批判になっているときは、相手の言葉が入ってきません。

ただ何となくイヤだとか気に入らないとかという理由で、攻撃されたくないと思ってしまいます。

批判する人の価値感を押し付けられたくないという気持ちになります。

批判グセの人の心理

他人からの批判は聞きたくないのに、周りの人やものごとをよく批判する人がいます。

批判することがクセにでもなっているかのように、多くのことを批判します。

そういう人には、たくさんの価値基準があります。

自分の価値基準に合わないものは排除したいという思いがあるのでしょう。

「私だったらこうするのに」「こうすべき」という思考が強いわけです。

自分の考えが正しいという価値観でいるのです。

なので、正しいと思っている自分の価値観を周りの人たちに知らしめたい気持ちになります。

自分の優位性を示したいともいえるでしょう。

また、批判しているときは、相手やものを攻撃しているときです。

攻撃自体が目的になっていることがあります。

自分のうっぷんを晴らすために批判することがあります。

自分がよくなるには周りを変えなければならないと思っているのかもしれません。

批判することで自分の外側が変化してよくなると思い込んでいるのでしょう。

批判している世界は自分を投影している世界

他人を批判したり非難した後、一人になるとなんとなくモヤモヤした気分になることがあります。

その場では発散しすっきりした感じがあっても、心底クリアな気分になりません。

批判に時間を費やすと、意味のないことをしてしまったと後悔の気持ちが出てきたりします。

人を自分の基準でジャッジしても周りが変わるわけではありません。

他人や周りにばかり注意を向けていても外側の世界はそのままです。

批判してもエネルギーは湧いてきませし、逆に消耗した感があります。

果たして自分の価値感がすべて正しいと言えるのでしょうか、疑ってみることです。

他人をどんなに批判しても世界が変わるわけではないのです。

今の状況は自分が選び取ってきた結果といえます。

周りの人やものは、自分が今まで選択してきた結果でき上がった世界なわけです。

望んだとおりにやってきた結果が現状ということです。

周りの世界を批判しても周りは変わりません。

自分が決めてきた結果が、今いる世界なのですから。

批判してよくしたいと思っているとしたら、自分の内側を変えなければなりません。

外側を変えたかったら内側を変えるということです。

相手を批判すると運が悪くなるという人もいます。

批判、非難、悪口はネガティブ感情から来るものだからです。

ネガティブな感情はネガティブな出来事を引き寄せます。

ですから、自分の考えを疑ってみることも必要なのかもしれません。

批判に関するブッダのお話を思い出しました。

釈尊は告げ口を嫌ったそうです。(「ブッダのことば」岩波文庫 )

ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

釈尊に他の弟子の告げ口をしに来る弟子がいたそうです。

「彼は不真面目だ。」とか「彼は先生の教えを理解してない。」というような非難だったのかもしれません。

何度も告げ口がありましたが、そのたび釈尊は聞き流していたそうです。

そうするうちに、その告げ口した弟子の身体に小さなできものができました。

そのできものはどんどん大きくなって体中に広がり、とうとうその弟子は死んでしまったそうです。

釈尊は他人の批判を嫌ったから、他人の悪口を言う者に罰が当たったということでしょうか。


弟子はそれぞれ自由に学べばいいというお考えだったのかもしれません。

釈尊は自分で考え実践する自主性を重んじていたのだろうと想像しました。

最後に

批判には肯定的な意味と否定的な意味があります。

何かを作り上げる過程で、批判的思考は成果を上げたりリスクを減らすために建設的に働く場合があります。

反対に、周りを批判することで自分のエネルギーを無駄に消費しているという否定的結果をもたらすこともあります。

自分の価値観を押し付けている場合があります。

周りを変えたいという思いで批判をしていたとしたら、周りをどんなに批判しても変えることはできません。

本人が変わりたいと思わない限り、周りがどんなことを言っても人は変わりません。

他人を批判することはほとんど意味がないといえます。

今現実の世界はすべて、自分が選択してきた結果だからです。

現状を変えたいという不満のために批判しているとしたら、自分を変えるしかありません。

批判するのは自分の価値観に執着しているからです。

苦しみは執着することから始まります。

正しいと信じている自分の価値観に執着しないことです。

自分の内側を変えることで外側の世界は変わります。


ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

お読み頂きありがとうございました。
 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク