あなたは強い人?弱い人?
一般的に強い者と弱い者が対立していたら、判官びいきで弱い者の味方をするのがかっこいいように思うのではないでしょうか。
強い者は力を持っているから、力を持たない弱いほうに肩入れしたらバランスが取れるような感覚になります。
客観的な立場であれば、判官びいきもいいように思います。
反面、自分が対立の渦中にあれば、弱い立場にいたくないわけです。
強者と弱者の対立があったら、私はいつも強い者につくと決めていたら安心できそうです。
強い者の方にいたら、自分の安全が保たれるからです。
権力や財力や腕力…あらゆる面で弱いより強いほうが有利なわけで、自分に危険が及びそうでなかったら判官びいきもできますが、直接影響がありそうなら強い方の味方になるということかもしれません。
自分を弱者と断定したとしたら、これは一つの見方といえます。
あらえることで弱者とは言えないかもしれないし、ある場合は強者となりうるというのが現状かもしれません。
また、自分の都合で弱者と強者を使い分けるということをやっているかもしれません。
弱さを言い訳にして、やるべきことをやらずにいるとか、責任を逃れているようなことです。
反対に強者である立場を利用して、エゴを通すことは簡単にできると思い、他人のことなど考えずにそうする人もいます。
ものごとは表裏一体
ジェームズ・アレンが著書「『原因』と『結果』の法則」のなかで、次のようにいいます。
「これまで人々は、こういい続けてきました。
『搾取する者が存在するために、多くの人たちが奴隷のようにして生きている。搾取する者たちはけしからん』
しかし、いまや、正反対の判断から、このように言う人々も増えてきました。
『奴隷のようにして生きている人たちがいるために、搾取する者が必要とされている。奴隷のようにして生きている人たちこそが問題なのだ。』
じつをいうと搾取する人たちと搾取される人たちは、たがいに協力し合っている人たちなのです。
…深い理解の持ち主たちは、搾取する側が誤ってもちいているパワーと、搾取される側の弱さが、同じ法則に従ってきわめて類似した結果を導き出していることを知っています。
…人間は、あらゆる身勝手な欲望を放棄しているとき、搾取する側、される側のどちらにも属していません。
‥‥弱さとはそもそも身勝手な欲望から発しているものである、ということに気づくはずです。」
搾取する方は悪者であるが、搾取される側にも同様に責任があるというのです。
(「原因」と「結果」の法則 P62参照)
ものごとは表裏一体なのです。
陰陽、正負、上下、強弱、明暗…、というように。
お互い対立しているように見えて、その反面、お互いを補っている関係でもあるわけです。
対立するものがあれば、どちらか一方だけが正しく反対側が間違っているともいえなし、一方だけに責任があるとも言えないわけです。
判断は冷静に、対極を考えて
ものごとを早急に判断して結論を出し、片方に付く、一方の考え方に入れ込むということは、間違いをおかす原因になることがあります。
今は対象が一つのものにしか見えなくても、その陰に隠れている別の側面があるはずです。
この世界は、陰陽の法則の通り、相対立するものが秩序を作っています。
冷静にどちらの考えにも立ってみることが大事です。
対極に立つということは、思考を片寄らせず柔軟にするものです。
後悔や失敗を防ぐためにも、思い込みやその時の感情に引きずられないよう、冷静のものごとを見ることが大切です。
対極を知ることは思考の幅を広げることでもありますから、「自分の思考の枠」を大きくできる機会ともいえます。
お読み頂きありがとうございました。