誰もが持っている第六感~真夏の日、スピリチュアルな声に助けられた出来事

ある真夏の日の出来事

私たちは視覚、聴覚、味覚、嗅覚、身体感覚という五つの感覚を持っています。

さらに第六感という感覚、直感というものも持っています。

ひらめき、予感、予知、勘ともいわれます。

その第六感が私を守ってくれたのかもと思う出来事がありました。


数年前の夏、厚い日差しが照りつける正午頃、道路を渡ろうと横断歩道に近づいていました。

見ると、渡ろうとする先の信号は赤でした。

暑い日差しがじりじりと照り付けていました。

日差しが強いので、横断歩道から5メートルほど手前の木陰で待つことにしました。

「日陰で待とう。ここにいようか。」と心の中で思うと、「そう、ここがいい。」と声がしました、私の中で…。

「ここにいたほうがいい。」と念を押すような感じでした。

しばらく待って信号が青になったので木陰から出て歩み始めると、周りで「あー」と小さな声が聞こえました。

私は先頭の人たちの後ろを歩いて、横断歩道を渡ろうとしていました。

先頭を歩いている女性が横断歩道を右折する軽ワゴン車にはねられたのです。

目の前で車が女性にぶつかる瞬間、私は「キャー」と悲鳴を上げていました。

車は女性の腰の辺りにぶつかり、女性は少し飛ばされ道路に倒れました。

たまたま自転車で通りかかったおまわりさんが私の悲鳴を聞きつけ、倒れた女性のところに走って行きました。

おまわりさんは「大丈夫ですか」とその女性に声をかけていました。

幸い女性は意識があり、おまわりさんは無線で救急車の手配をしているようでした。

事故の前…、先頭にはその女性と二人の男性が並ぶように進んでいました。

なぜか、女性だけはねられました。

女性は近づいてくる車に気づかなかったのかもしれません。

事故後、救急車やパトカーの音が大きく聞こえてきました。

私はその場を離れました。

胸がドキドキして、近くの公園のベンチに座りこみました。

今の出来事が頭の中でぐるぐると廻っていました。

考えていくうちに、もし私が日影でなく道路際で信号待ちしていたら、青信号ですぐに先頭で渡り始めていたかもしれません。

その女性ではなく、私がはねられていたかもしれない……。

頭を打って死んでたかもしれない…。

私は、混乱しました。

身体がこわばって緊張していました。

横断歩道から離れた場所で待とうと思った時、「ここがいい。」という声が私の中で聞こえたのは確かです。

「ここにいるように。」と私に念を押したのは、「もう一人の自分」がこの先何が起こるかわかっていたからかもしれません。

動転している頭の中で、私に「ここがいい。横断歩道の近くに行ってはいけない。」と言ってくれたんだと解釈しました。

私の中の私が、私を守るために注意してくれたんだと思うと、胸にじわっとこみ上げてきました。

意識してはいないけど、常に寄り添い守ってくれている存在が私の中にあるのだとわかりました。

誰にでもある第六感

生まれたときからずっと私を見守ってくれる存在が私自身の中にいるのです。

あなたの中にも存在するのです。

あなたをいつも見守り、寄り添ってくれるあなた自身がいるのです。

いつもあなたは守られているし、あなたのことを思ってくれる「もう一人のあなた」がいます。

ありがたい存在があなたの中にいるのです。

お読み頂きありがとうございました。

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