選択の仕方
どちらにしようか迷いどちらかに決めなければならない時、いろいろ考えた結果、答えを出します。
後日、自分で決めた、その選択に後悔することがあります。
卑近な話、服を選ぶ際どちらにしようかと迷い、今までとは少し違った趣味のものを選びました。
そして、帰ってから「何か違う」と感じ、もう一方の方がよかったかなと後悔したりします。
この場合、迷って選択しましたが、自分で決めたから後悔といってもさほど悔やむというものではなかったわけですが。
選択の際、選ぶこと自体に他人の考えが入ってくることがあります。
自分ひとりでは決めかねると思い、親や友人に相談したりします。
他者から勧められたという理由で決め、結果が思うようなものでない場合があります。
そういう時、後悔が自分で選択した時よりも大きいように感じます。
なぜ私たちは選択する際、後悔したくないと願うのでしょうか。
後悔はネガティブな「痛い」思いであり、避けたい感情です。
たとえるならば、目的地に行くのに最短で行きたいわけです。
回り道などせず、直線でいきたいのです。
でも最短で行きたいにもかかわらず、そうならなかったら後悔するでしょう。
紆余曲折だったら、失敗したと思うでしょう。
紆余曲折は、ものごとが順調に行かず複雑な経路をたどることですから、「痛い」思いがあるかもしれませんし、実際大変な目にあったりします。
人間は痛みを避けて快を求める存在ですから、当然痛みを感じる可能性のある紆余曲折はイヤです。
複雑で込み入ったこと、やっかいなことは敬遠したいのは当然です。
人生で大きな問題を選択しなければならない時があります。
進学や就職、結婚など選択に迷う場合があります。
大きい問題であれば、自分の選択に自信がないという人もいるかもしれません。
周りの意見を聞いて、決めたいという気持ちもあります。
ですが、ここで「決めるのは自分である」ことを基本にしておけば、選択した結果に納得することができます。
また、失敗したと思った場合、誰かを責めることもできません。
人間には、依存したいという気持ちがあります。
依存したい人は、選択することを他者に決めて欲しいと思っています。
決めなければいけない場合、自分の基準を持つことが大事です。
自主的な選択をするか、他者に決めてもらうか、です。
主体的に選択したことは、結果がどうであれ納得し責任を持つことができます。
誰のせいにも、できません。
後悔はあったとしても、納得はできるでしょう。
日ごろから「自分で決める練習」をしておくと、自分で決められるようになります。
ほんのささいなことから、例えば夕食は「カレー」か「ハンバーグ」にするか、迷ったら…。
自分が自分自身に「どっちがいい?」と聞きます。
そうすると、自分の中から答えが出てきます。
長く考えて答えを出す場合もあるでしょうし、直感でひらめき、答えが出る場合もあるでしょう。
いづれにせよ、自分が主体となって決めていきます。
AにするかBにするかで迷った場合、次のような場合もあります。
どちらを選ぼうかと迷った時、今までだったらAを選んでいました。
でも今回はBにしようと思い、Bを選びました。
そして、後からがAがよかったかなと後悔することになりました。
でも、Aははじめから選ばなかったから、それは今の自分にはちょっと違うと思ったわけで、選びたくなかったものでした。
従って、「どちらもはじめからよくなかった」ということに気づいたこともありました。
だったら、A、Bどちらも今の自分にとって良いものではなかったということになります。
二者選択という道とは別に、第三の道があるかもしれません。
第三の道を模索しないといけない場合が、出てくるかもしれません。
いづれにせよ、意識を集中し、自分で考え選択することが大事ではないでしょうか。
後悔しない選択
そもそも後悔することに意味があるのかということです。
後悔するのは、過去を振り返るからです。
今いるところから過去を見て、自分のいたらなさを感じるから、後悔するわけです。
歳を重ねることで、精神的にまた肉体的に成長するでしょう。
経験を積むことで、知識や見識がつくこともあるでしょう。
昔の自分は未熟だったから、間違った選択をしてしまったと後悔するわけですが、しかし、過去の自分はその当時は成長の先端にいたわけです。
ベストな状態であったのです。
時の流れの中で、今がすべてであり、ベストな状態なのです。
その当時の自分は、最高の判断をしてベストな選択をしたのです。
過去の自分のしたことを現在の自分が悔やんでいます。
しかし、状況は刻々と変わり、過去はやってこないのです。
後悔に、意味があるでしょうか。
今の自分は今がベストであり、過去の自分もその当時ベストな状態にいたのです。
だから後悔することは無意味なことではないでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。