誰のせいにもしない生き方:自分の人生の主人公は自分だと自覚する

自分の選択に責任を持つか、そうでないのか

自分を自分がどう思っているのかが運命をつくるといわれます。

人生を生きていくうえで、自分自身が人生の挑戦に立ち向かう力があり、幸せになる価値がある人間であると思うのか否かです。

自分は価値がないと思い、周りに翻弄され続ける存在だと思い続けるのかということです。

そこが、人生の分かれ道です。

自分に起こった出来事を受け入れたくなければ、受け入れないという選択は出来ます。

「私はただ言われただけ、言われたことはやりました。どういう結果になろうと私には関係がない。」と言うことが出来ます。

受け入れたくない結果を誰かのせいにすることができます。

問題が起こったら、それを解決する方法を考えないことも出来ます。

「どうして、私がやらなければならないの?!」と不満を言うこともできます。

成り行きに任せることができます。

現実を無視するという方法もあります。

閉じこもるという選択もできます。

「私には関係ないこと」という態度でいることも出来ます。

自分の価値は周りの人たちの評価にかかっている、だから自分の価値を他人に決めてもらうことも出来ます。

「あの人に認めてもらえるにはこういう理想の自分にならなければいけない。」と思います。

必死に相手に合わせようとします。

自分のことに責任を取らないという道もあります。

「いろいろあるけど、私には責任はない。むしろ私は被害者よ。」という姿勢も取れます。

しかし、自信があり自分を大切にしている人は、自分の力を信じているから挑戦し続けます。

自分を大切にするから他人も大切にできます。

自分のことに責任を取ります。

周りの人の賞賛や批判は受け入れます。

でも、最終的な自分の評価は自分が下します。

自分に起こった出来事の結果は自分が受け入れて、誰のせいにもしません。

問題が発生したらどうやったら解決するか考えます。

そして、挑戦し続けます。

自分が選んだ道ならば責任が持てる

自分の選んだ仕事に迷っている人がいます。

恩師はAの道へ行く方がいいと言っていました。

けれど、自分はBと言う道を選んだのです。

恩師の言ったことに逆らったという罪悪感のようなものが出てきました。

自分より見識のある恩師のアドバイスを聞かなかったから、これから良くないことがあるのではないかと不安になります。

自信が持てない状態になりました。

恩師の言うことを聞いておけば良かったかもしれないと後悔に似た感情が芽生えました。

人は「こうでなければならない」とか「こうすべき」、「そうしなければならない」と思う時があります。

自分が決めた「ある基準」に達していない場合そういう思いが出てきます。

先ほどの進路に迷いが出た彼の基準の中には恩師の基準もあります。

自分は未熟だという認識があります。

恩師の基準が絶対のように思えてきました。

自分より大きく強い存在の恩師は、絶対的な存在であるという思い込みがあるのかもしれません。

恩師の決めた基準に合わなかった自分はダメな存在だと不安になったり、自己嫌悪したほうがいいのでしょうか。

もし自分の取った行動が心から「そうしたい」という願望から生まれたものであったなら、自分を責める気持ちになるでしょうか。

罪悪感を持つことがあるでしょうか?

自分の心に従うことが本当に自分を生きるということではないでしょうか。

自分に責任を持つと自分を尊重できる

自分を信じて自分が選択する行動を取ったら、出た結果に責任を持ちます。

ネガティブな結果を受け入れる覚悟があります。

そしてよりよいものにしようと挑戦し続けます。

決断する上で様々な迷いが生ずるでしょう。

最終的に自分の考えや気持ちで決めたら、たとえ結果が期待したものでなかったとしても、最悪と思えることでも、受け入れられるのではないでしょうか。

誰のせいにもできません。

自分のせいだと思えたら、結果に責任を持ちます。

そして挑戦し続け、最終的に願う結果を手にいれるでしょう。

自分を統御できます。

自分の人生の主人公は自分だと実感できます。

自信を持ち自分を尊重するという感覚は、意識的に生きて責任を持つという姿勢から徐々に育成されていくものなのです。

お読み頂きありがとうございました。

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