空気を読むということ
私たちは本心ではないことを言ったり、したりすることがあります。
例えば、空気を読むということもそうです。
気づいているのに気づかないふりをしたり、知らないのに知っているふりをします。
自分を実際よりよく見せようとしたり、または能力を低く見せようとしたりします。
心の動揺を否定し、他人に気づかれないように隠そうとしたりします。
自分は本当はそうだと思わないのに、同意しているように黙っていることがあります。
心の中では別なグループの人たちがいいと思いながらも、いつも同じ人たちと一緒にいたりします。
もう心がなく愛していないのに、愛しているふりをします。
外側の自分と自分の心とが一致していない状態です。
内面の自分を偽っています。
嘘をついて、生きている自分がいます。
幼い頃から大事なことだと教えられてきたのは、親や教師、周りの大人たちの意見に従うことだったと、思い出されます。
自分の言動が正しいのか間違っているのかは、「あの人がこういっているから、間違いない」「その考えは常識からはずれている」と、他人に受け入れられることが、重要な判断基準でした。
他人に合わせる、周りと上手くやるということが一番大事なことと、思い込んできました。
空気を呼んで、周りと上手くやることが「あなたの幸せよ」ということでした。
ですから、いつしか自分のやりたいことや、自分の考えや意見やそういうものは、二の次になっていきました。
社会に適応するという名目で、内面の自分を意識しないようになったのです。
そうしていくと、他人から拒否されることを恐れ、嘘をついているという現実を作り出します。
他人に合わせている限り、恐れや苦しみという感情は出て来ないと勘違いしてきました。
自分の感情を隠し、ついには無くすことがよいことと思い込みました。
そして、生き延びるために「おとなしくなる」ことを身につけていきました。
「成長するとは、嘘をつくのが当たり前だと認めるようになること、つまり生きる手段として、嘘を受け入れ、使うこと」という処世術ができ上がりました。
空気を読まない生き方
なぜ、自分の心を偽って、本心を他人に示さず生きるのでしょうか?
本心を言ったら、まずいことになると思うからですか。
まずいとは相手を傷つけるとか、相手を怒らせてしまって面倒なことになると恐れるからでしょうか。
相手から嫌われて関係が終わり、報復されるかもしれないと心配するからでしょうか。
私たちは、幼い頃から自分の感情を否定し、自分自身を偽り、内面の自分を無視することが多かったのではないでしょうか。
他人にうそを言うとき、ものごとに真摯に向き合わない、あいまいな自分がいます。
うそを言うことで、責任から逃れようとする弱い自分がいたりします。
自分自身をはっきり位置づけず、立場を明確にしないことで責任を取らなくてもいいようにアリバイ作りをしています。
はっきり真実を言わないので、相手の受け取り様に合わせることができます。
ときには、後で真実がわかり、お互いネガティブな感情になり関係性が悪くなったりします。
本来人間は、自分自身にうそをつくと苦しくなるものです。
本心を隠し自分を偽ることは、自分を否定していることと同じです。
うそをつくのは、恐れの心からです。
恐れに支配されて、自分が正しいと思うことよりも、他人が言うことを重要だとするのは、自分の人生を生きるよりも、他人に所属する方が良いと考えているからです。
「嘘を生きる」のは、自分の人生を生きているといえるのでしょうか。
自分の心にうそをついていることは、長くは続きません。
いづれ苦しくなって、本当の自分を生きたくなります。
苦しさを解消するためには、他人に自分の心を支配させないことです。
自分の心に素直になり、心の声を聞くことです。
他人に依存せず、自分の心の声に耳をかたむけてみて下さい。
自分のことをしっかり自分事として主体的に捉え、考え、行動してみることです。
主体的なあなたになるということです。
そうすると、姿勢や行動が変わります。
嘘を生きることをやめると、本当の自分を表現できます。
お読み頂きありがとうございました。