他人からどう思われるか気になるのは~自分も他人をジャッジしているから

自分も他人をジャッジしている

他人の目は気にしないという方もいらっしゃるでしょうが、多くの方は気になるのではないでしょうか。

どう思われているか、悪く言われていないかという思いがあったりします。

いつの頃から他人の視線が気になり始めたのでしょうか。

ほとんどの人は他人と比べたり、他人から自分はどう見られているか心配になります。

「他人は自分の鏡」といわれるように、他人の評価が気になるのは自分が他人をジャッジしているからではないでしょうか。

自分が他人を評価したり査定したりしているから、他人も自分と同じようにやっていると思うのではないでしょうか。

自分では自覚がないかもしれません。

無意識に他人をジャッジしているのです。

ですから、他人が自分をどう思うかが気になるのです。

周りの声が自分の価値を決める?

一般的に自分自身を好きだという人より、自分が嫌いという人が多いようです。

自分を好きと言うと、うぬぼれているとかナルシストというようなレッテルを貼られそうです。

謙虚さのないわがままな人と言われるかもしれないと心配します。

聞かれたら「自分のこと好きです」と答えられる人がどれだけいるのでしょうか。

私たちは、幼い頃から自分勝手はいけないことであるとか、他人のことを考えなさいと言われて育ってきたように思います。

他人の意見を聞き、他人を尊重しなければいけないと教えられてきました。

周りの人から嫌われないようにとか迷惑をかけないようにとかが大事な価値観であるように思います。

何が重要なことなのかは周りに合わせなければ判断できないように思ってしまいます。

自分の価値は他人の評価によって決まるという価値観が身についてきたように思います。

なので、自分は他人からどう思われているかがとても気になります。

他人から認められたり、賞賛されたら自信がつきます。

そのため、他人から認められなかったら自分には価値がないと思い込む人がいます。

他人から悪い評価を受けないように、周りに迷惑をかけないように控えめに目立たぬようにやってきました。

自分に対する他人からの賞賛は心強い味方になります。

しかし、ほとんどの場合、他人からの賞賛は期待できません。

一般的に人は他人のことをほめません。

はるか遠くにいる自分とは関係のない人の業績をほめることはあります。有名人とか…。

でも、距離が近くであればあるほど、身近な人のことはほめないように感じます。

自分に価値がないと思っているので、自分のことが嫌いという人が多いです。

自分のことを嫌っているので、自信がありません。

自信がないので、新しいことに挑戦しようとは思いません。


あるいは、やりたいと思っているけど、失敗が恐いと思います。

それで、行動に移せません。

いつまでも行動できない自分がいて、そういう自分がますます嫌になっていきます。

自分が嫌いなので、他人からほめられると、そんなはずはないと否定します。

ただおだてているだけと捉えます。

自己否定しているので自分の価値を認めないことが当たり前になっています。

自分の価値は自分が決めるもの

他人の評価によって自分の価値が決まるものではありません。

100人いたら100人全員に評価されることはないでしょう。

逆に、全く評価しないという人が100人ということもありえないと思います。

人はそれぞれ自分自身の世界を持っているものです。

嬉しいこと、笑えること、怒ること、悲しむことさまざまな場面でみな同じ反応をするものでもありません。

みんなが同じ価値観を持っているわけではないのです。

他人と自分は違う存在です。

似ているところがあるとしても、異なる部分がそれ以上にあるのです。

同じ思考や同じ感情の表わし方をする人はいません。

自分の価値は自分だけのものであり、それぞれの人もその人の価値をみんな持っています。

誰に対しても自分の価値を証明しなければならないと考えなくてもいいではないでしょうか。

あなたの価値は生まれながらのものなのです。

正しい評価の基準があるかのように思い、それに合わせなければならないと思っています。

しかし、そんな基準はないのです。

「常識」の中にいないといけないという幻想があるのです。

でも、「常識」に縛られて「あるもの」を「ないもの」といつわらなくてもいいのです。

自分の行動に関わらず自分には価値がある

自分が嫌いなのは生まれながらのものではありません

生まれたばかりの赤ちゃんが自分自身を嫌うでしょうか。

赤ちゃんは何の劣等感も持たないし、どう思われるかなんて気にしていません。

私たちは、小さい頃の周りの自分に対する評価がネガティブなものであったから、自分を卑下するようになったのかもしれません。


幼い頃、言われたことをやらなかったりしたら、わがままだと親から判断されてしかられた経験があるでしょう。

しかし、ちゃんとできたのにもかかわらず、何も言われなかったら自分は正しいのか間違っているのかわからないままということもありました。

ほめられなかったから自分には価値がないと思い込んだのです。

自分の行動に価値を感じられないことが多かったのです。

自分の行動に確信が持てずにきました。


人を評価するのにその人の行動を評価する方法があります。

行動した結果で人に優劣をつけるやり方です。

その人の業績でその人の価値を計るわけです。

自分の行動だけ重視していると「自分」=「価値がない」という思いに陥ります。

でも、行動した結果が良かったからその人が価値があるというのは正しいのでしょうか?

間違ったことをしたり、生産的でなかったりする人は価値がないというのは正しいのでしょうか?

まず、自分が存在している、自分が生きているということがはじめに来るものだと思います。

人は命がある存在です。

どのようなことにも挑戦できる可能性を持った存在です。

「ただあなたは存在しているだけでいい。生きているだけでいい。」

この大前提を100%受け入れ尊重することが始まりではないでしょうか。

その心の状態になった後にやりたいことに目を向け、やりたいことをやるという行動になるのではないでしょうか。

人間は何かを成し遂げたか、成し遂げなかったかに関わらず、存在それ自体に価値があるものだということなのです。

終わりに

他人からどう思われているか気になるのは、自分でも無意識に他人を判定しているからです。

他人を評価、査定している自分がいるのです。

それは、自分の価値観で他人をジャッジしています。

その価値観は他人とまったく同じものではないはずです。

自分は他人に判定されていると思っていますが、自分も同じことを他人にしているのです。

自分も他人をジャッジしているのだと気づきます。

自分とまったく同じ人間はこの世界にはいないのですから、自分を尊重し他人も尊重するということが大切だと思えるのではないでしょうか。

お読み頂きありがとうございました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 潜在意識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク